レベル7・・・やっと認めた国(速報)2011/04/12 06:31

 原子力安全保安院が今回の原発事故を、レベル7に引き上げました。
 発生からちょうど一ヶ月後に発表するところが、何とも意図的なものを感じます。かなり初期の段階で深刻な事態と把握していたにもかかわらず、レベル5と言ったきり黙っていました。何を今更と思います。おそらく諸外国からの非難にこれ以上の沈黙はまずいと思ったのでしょう。このように、評価や対応は「科学」ではなく極めて「政治」的に行われるという事です。しかも、やっと、放出された(されている)放射能量を数字で示しました。
「つねに事故は小さく評価される」という法則があります。「都合の悪い事実は隠される」というのも定理です。「レベル7」が何を意味するのか考えましょう。

追記
 保安院はヨウ素131の総放出量を、数十万テラベクレルと発表しました。 4/6のブログで私が予測した量よりさらに一桁大きな数字でした。保安院はチェルノブイリ事故(520万テラベクレル)の十分の一にすぎないという言い方をしています。この基に及んで何をか言わんやです。いかにも小さいようですが、放射能の世界は何桁オーダーという数値で見るので、もう一桁しか違わないところまできてしまった、という見方をしなければいけません。しかも、チェルノブイリからの放射能放出は終っていますが、福島は未だに続いており、いつになったら止められるのか見当さえつかない状況です。複数の原子炉を抱えています。このままでは、チェルノブイリを超える可能性すらあります。

追記
この発表のタイミングは避難地域の拡大の発表とリンクしているのかもしれません。

国破れて山河・・・なし!2011/04/12 19:14

「国破れて山河あり」春望より、杜甫
「国破れて山河在り」

 杜甫の詩に出てくる有名な言葉です。「人間の作り出したものは壊れてしまっても、美しい山河、自然というものはいつまでも変わらずに残っている」という意味だと、私は思います。この詩は、さらに、春が来て、また花が咲き草木が茂る、と続きます。「クニ」なるものは壊れ去っても、自然が新しい命を再生してくれるのだよ。そう私たちを慰めてくれる言葉のように聞こえます。素晴らしい詩です。
 私たち人間は自然の力によって生かされているというのが、昔からの東洋の人々の考え方でした。西洋文明においては、人間は自然と対立し、自然をコントロールしようとしました。そして、人間は、科学技術を発達させて、ついに「核の火」を手にしました。それは余りにも大きな力を持っていました。

「国破れて山河・・・なし!」

 人が作り出したものが、山河をも道連れに滅んでしまっては、いったい何が残るだろう。人が作った「原発」が壊れて、放射能が撒き散らされ、山河も壊れてしまったら、もう何も残らない。「原発」という巨大システムが、自然を道連れに破滅するのは、自然に対する「自爆テロ」ではないでしょうか。