今生きている人間に突きつけられたもの(日記)2012/03/19 23:31

 今日、友人の葬儀に参列しました。 昨年5/26のブログで紹介した友人です。足利の山里で有機農業を営んでいた彼は、長年、環境問題や原発反対にも取組んでいました。友人であり同志でもある長林寺住職が読経の後で弔辞を述べ、彼の生き方を讃えるとともに、自然と一体の生き方を取戻さなければならないと、参列者を前に「脱原発」を訴えられました。私は葬儀の場で正面切って原発問題が語られたことに驚きました。彼の死は、我々に「生き方」を問いかけているような気がしてなりません。心に残った住職の言葉をご紹介したいと思います。なお、長い弔辞のごく一部で、しかも、あくまで私の記憶で書いていますので、住職の言葉通りではありません。

>弔辞より
 彼は、正真正銘のエコロジストでありナチュラリストでした。しかもそれを単に主張するだけでなく自分の生活そのもので実践してきました。彼は、私にとって同志です。20年くらい前、共に行政と闘った仲間でした。当時、松食い虫防除のためと言って、足利の山々に人里に強力な農薬が無差別に空中散布されました。私たちは環境と命を守るために立ち上がり、市と県と国を相手に闘いました。彼は高い理想と強い信念をもって生きてきました。3.11の時、彼はすでに病床にありましたが、これを一体どんな思いで迎えていたでしょう。テレビや新聞などは病状に悪いからと止められてたそうですが、彼にはすべて分かっていたようです。我々が作った今の世界に対する一つの答えが出たのです。原発事故によって明らかになったことがあります。倫理が問われています。科学万能主義のもとひたすら大きな力大きなエネルギーを目指して邁進してきた私たち人類は大きな間違いを犯しています。今こそ、シューマッハーが唱えた「スモールイズビューティフル」の精神に立ち返り、原発を廃絶し原発に頼る生き方を断ち切らなければなりません。今を生きる私たちは、死んでいった遠い祖先たちや生まれ来る未来の人たちすべてとのつながりの中にあります。私たちは、世代を超えた責任を自覚して、今を生きなければいけません。本来の自然と人間との関係、自然に敵対しない生き方、自然と共生する生き方、これを取戻さなければ私たちの未来はありません。これらの決意を確認して誓いたいと思います。安らかに眠ってください。合掌