3.10と3.11〜戦災と震災(日記)2012/03/09 19:58

 3.10から67年が経ちます。年老いた母は3.10をよく憶えています。昭和20年3月10日夜、北関東の足利からも南東の空が赤くなって見えたといいます。母の実家では、娘のいる足利市街が燃えているのではと心配したと言います。それほど空を赤く染めた火は、はるか離れた東京が燃えている赤い火、東京の大空襲の火だったのです。
 1945年3月10日未明、アメリカ軍のB-29爆撃機の大編隊が東京を襲い、下町を中心に焼夷弾を雨あられと落として、町を焼きつくし、なんと一晩で10万人もの市民が殺されました。これが「東京大空襲」です。10万人が死んでも、それは長い戦争の数多くの悲劇の中のほんの一部です。広島長崎の原爆でも30万人の市民が犠牲になりました。
 私は母に、日本人はどうしてアメリカを憎まないのだろうと聞きました。だって、鬼畜米英って叫んで闘っていたのでしょう?と。母は困ったように、戦争だからと言うだけでした。
 もし、自分の大切な人が戦争で死んだらどう思うだろう。何で死んだのか、誰のせいで死んだのか、そもそも死んだのではなくて殺されたのだ、なぜだ?って、きっと考えるだろうと思います。何十万人何百万人の犠牲者のまわりに渦巻いているはずのそんな恨みや思いはいったいどうなっているのだろう。私は、ずっと疑問に思っていました。
 日本では、このような悲惨な出来事を「戦災」と言っています。この言葉にはずっと引っかかっていました。人間の所業である戦争がまるで自然災害のようです。このような捉え方は責任を曖昧にします。結局、日本は戦争の責任を明らかにしないまま今日に至っています。

 3.11「東日本大震災」から1年が経ちます。3.10「東京大空襲」と67年と1日違い。まったく違う出来事のようですが、私は何か似通ったものを感じます。
 大地震と大津波は大自然の猛威です。しかし「原発事故」は天災ではありません。危険な原発を運転し事故を起こしたのはまさに人間の仕業であり人災です。自然災害としての「震災」と、人災としての「原発事故」は明確に分けて捉えなければいけません。
 ところが「震災」という言葉の中に十把一絡げにして「原発事故」と言わずに済ませる風潮があります。言葉による事故隠しが行われているように思います。「原子力災害」と言ったり、放射能汚染に苦しんでいるのに「震災の影響で」と言うようなことです。
 このままでは、あの戦争と同じことになるような気がします。戦争を戦災に言い換えて、戦争の責任を曖昧にしたまま、とにかく復興と突っ走って、ここまで来ました。日本は、生まれ変わったと思っていましたが、実は、何も変わっていなかったのかも知れません。今の日本は、原発事故の責任を曖昧にしたまま、とにかく復興だ「がんばろう日本!」と叫んで突っ走ろうとしています。
 戦争も原発も人間がやったことです。天から降ってきた災いではありません。人間の責任を明らかにしなければ、きっとまた同じことを繰り返します。それが日本の文化ではないと思いたい気持ちです。

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