泊、下北、若狭を結ぶもの 〜 水上勉 『飢餓海峡』2011/08/18 21:44

水上勉
 「この荒涼たる断崖の村の景色が、奴の精神の底に流れているのだ…」水上勉の『飢餓海峡』の一節です。その舞台のひとつとなっている“村”は、北海道古宇郡「泊村」。どうしても因縁めいたつながりを感じてしまいます。水上勉は、若狭の大飯郡本郷村(大飯町)出身、貧苦の中で育ち、底辺から這い上がるようにして作家となった人です。

 「その沖の岬には、東洋一をほこる出力百十七万五千キロワットの加圧水型原発炉が二基燃えていた。近代文明の母といわれる、エネルギーの火壺である。・・・文明はどこまでエネルギーを使うのかわからぬが、もうあとにはひけないぜいたくな生活になれたぼくも、安全信仰の一人として、若狭の国にうまるだろうが、誰がチェルノブイリの二の舞があり得ないと断言できよう。」これは『若狭憂愁〜わが旅2』の一節。自分の生まれた村に大飯原発があります。
 「・・・いまや神だのみでしか生きられない「原発銀座」の良識世界にぼくは憂愁を感じるのである。・・・ぼくは父も母も穴を掘って埋めた。故郷はまだ火葬場をもたぬ。原始の人間生死を抱いて生きている。世界最先端のエネルギー生産ドームを抱いている。おお、この不思議な村に永遠の幸いあれ。」水上勉は、故郷である若狭の地が原発銀座になってしまったことを深く嘆き、独特の視点から原発を批判し警鐘を鳴らし続けた人です。

 さて、『飢餓海峡』に話を戻します。この作品は、戦後の混乱期を背景にして洞爺丸台風を題材に書かれた推理小説と言われていますが、貧困の中に打ち捨てられた地方の現実と、そこから這い上がろうともがく人間の業、底辺を生きる女の中にある光、など奥深いテーマを抱えた文学作品です。私はそれについて語ろうとは思いません。最初に「因縁」と言ったのは、「原発」のことです。
 犯人である主人公「樽見京一郎」が開拓民として辛酸をなめた地が、泊村堀株(ほりかっぷ)でした。樽見は大犯罪を犯した後、津軽海峡を渡り、下北半島大間にたどり着きます。大湊でもう一人の主人公「杉戸八重」との接点。その後、物語は大きく展開していきますが、最後に舞鶴が舞台となりクライマックスを迎えます。そこは樽見の故郷の近くでした。舞鶴は若狭湾に面する入り江の一つです。八重の遺体が見つかったのは大飯町から岬ひとつ隔てたところでした。物語の舞台だけを紹介しましたが、なんという偶然でしょう。
 「泊」と「下北」と「若狭」が、物語の中でしっかりつながっています。とても不思議なことですが、現代の日本人から見ればそこに登場する土地の共通点は「原発」です。「泊村堀株」は現在の泊原発の所在地そのものです。「下北半島大間」も原発建設予定地で、今や下北半島全体が原子力のメッカとなっています。そして、水上の故郷である「若狭」の地は、原発銀座です。この小説が書かれたのは1962年。敦賀と美浜の原発計画はすでに始まっていましたが、泊と下北で原発の話はまだなかったと思います。泊の名が候補地にあがったのは1967年のことですから。

 私は、偶然の一致だと思いますが、同時に、原発が来るようなところの共通点を見るような気がします。水上勉は、虐げられ打ち捨てられた地方の貧しい村々を描きました。そして、底辺にあえぎながらも這い上がろうともがく人間の業を描きました。それが、原発を受け入れた村々の現実とあまりに重なっていたのでした。そうして、まるで予言したかのように、泊と下北半島と若狭湾が結びついてしまったのです。
 水上勉は、貧困と過疎にあえぐ故郷に原発を押し付け、ひとり繁栄する大都会の浪費文明を常に批判してきました。問われているのは、泊でも下北でも若狭でもありません。私たちなのです。

コメント

_ 中井聖満 ― 2013/01/07 17:08

初めまして。
突然のご連絡を失礼します。
今水上勉さんの写真を探しており、こちらに掲載されている画像がとても良いと思いご連絡させて頂きました。
水上勉さんの画像はどこで入手されたものでしょうか?
お忙しいところ申し訳ありませんが、よろしくお願い致します。

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