気がつけば「戦時中」だった2011/08/12 08:47

月刊わらじ8月号に掲載された拙文を紹介します。・・・特集:見えない戦争

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 昔、東越谷でメルカ堂という自然食品カフェをやったことがあります。先を行きすぎたのか、経営がずさんだったのか、すぐにつぶれました。店開きしたての頃です。わらじのT.S氏が来店し、「よくやってんねぇ、農薬かけなきゃうまい野菜できないでしょ!」と言ってくれたのが、考えてみればわらじとの出会いでした。
 あれから27年近くが経ちました。3人の子供たちも家を出ています。最近は、わらじともすっかりご無沙汰しています。そして、私たち夫婦は相変わらず無農薬野菜や地場野菜を食べていました。

 ところが今は、放射能のかかった野菜を食べています。春先は足利名物のカキ菜も食べました。あのころ植えたジャガイモを収穫して今食べています。足利の水も飲んでいます。空気も吸っています・・・
 3月11日の大地震。そして、福島原発事故。地震と津波は去っていきましたが、原発事故はいまだに続いています。25年前、長女が生まれた直後に起こったチェルノブイリ原発事故、日本にも放射能が降って、娘の体内にも入った放射能、あの時の怒りが再びよみがえってきました。福島原発事故を伝えるテレビに向かって、私はよく叫んでいました。ウソつき!わけネーだろ!・・・
 時々、この怒りは何だろうと思うことがあります。俺の体は俺のもの!俺の命は俺のもの!・・・という当たり前のことが、勝手に脅かされているような気がしてならないのです。それも、目に見えない何者かによって!

 原子炉の中にあった死の灰が、吹っ飛んで、風に乗ってここまで飛んできて、お彼岸の雨と一緒にこの畑にも降りました。埼玉でも、三郷や吉川は放射能が高くなっています。松戸や柏などはもっと高くてホットスポットと呼ばれています。これって、明らかに無差別爆撃!です。それも核!の。
 足利あたりはまだましです。足利にも福島から避難してきた人がいます。福島の汚染地帯は当分人が住めないといいます。故郷に、家に帰れないなんて、いったいどういうことでしょう。彼らは難民!です。それも原発!の。
 避難地域の外側でも実はひどい放射能汚染があって、子どもの体を心配する親たちが子どもたちを避難させる動きがあります。これって、疎開!
 無差別爆撃、難民、疎開...こんな戦争用語が現実になっている今の日本に愕然とします。
 街にあふれる「がんばろう!!日本」コール!・・・なんと耳障りなスローガン。私の親の時代「欲しがりません勝つまでは」と叫んで戦争をやった時と通じるものを感じます。「努力と忍耐」が価値であるこの国に、なんとぴったりの言葉でしょう。なおわらじには「がんばらない!!日常」コールを送ります(余談)

 気がつけば、日本はすでに「戦時中」でした。気がつかない人は気がつかない。それは「見えない戦争」ですから。いつの間にか、自分の命が他人の手の内にあった・・・なんて、まっぴらごめんです。そんなことを思う今日この頃です。

  Peaceという映画を観ました。平和と共存は、互いに「あるがまま」に生きられ、互いに「うけいれる」ことができる、という日常そのものなんですね。いろんな猫といろんな人が登場。少し元気になりました。想田監督は足利出身です。

 実は原発や放射能の話を始めるとキリがありません。怒りをかたちにする意味でも、ブログを書いています。興味ある方はご覧ください。3/20に始めて現在136号目です(8/12)。自分でも呆れます。
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(補足)わらじの会は, 障害のある人もない人もいっしょに街の中で生活していこうと、30年前から活動している団体です。
http://warajinokai-33tomoni.web.infoseek.co.jp/