ピーク時供給力・・・見せかけ(用語)2011/07/01 07:16

 関東では連日猛暑が続いています。電力需要も伸びて、東電が毎日発表している「電気予報」をもとに、やれ90%超えたの、余力わずかとか、報道されています。この数字に付いて誤解があるようなので、今日は「ピーク時供給力」という言葉について、考えてみたいと思います。

 この1週間の電力需給について表にしました。数字は左から、「ピーク時供給力」「予想最大電力」「最大電力需要(使用率)」「最高気温」となっています。

      供給力  需要予想   実需要     気温
6/24(金)  4,790  4,400  4,380(91%) 32.7
6/25(土)  4,370  3,300  3,614(83%) 27.9
6/26(日)  4,360  3,340  3,249(75%) 22.7
6/27(月)  4,880  3,850  3,601(74%) 23.8
6/28(火)  4,880  4,150  4,326(89%) 31.9
6/29(水)  4,900  4,500  4,570(93%) 35.1
6/30(木)  5,010  4,500  4,571(91%) 33.6
7/ 1(金)   5,110  4,280

 ピーク時供給力の変化を見ておかしいことに気付きます。例えば、24日から26日にかけて供給力が減っています。東電の供給能力が下がってしまったのでしょうか!ところが、翌26日になると、一気に520万kWも増えています。東電は巨大発電所が復旧したのでしょうか!そんなことはありません。ただ単に、土日に合わせて、供給力を調節しただけです。簡単にいえば、発電所のスイッチをON-OFFしているだけです。
 これだけでも分かりますが、毎日発表されている「ピーク時供給力」とは、その日の「供給予定量」のことであって、決して「発電能力」のことではありません。「東電の総発電能力」と思っている人が多いようです。もしそうなら、これは大変な誤解です。
 「ピーク時供給力」とは、あくまでも、その日に最大どれくらい発電するかの「予定発電力」のことです。当の東電は、「電力需要のピーク(最大電力)にあわせた供給力のこと」と言っています。〜に「あわせた」という言葉がポイントです。その日の最大需要を予測して、それに「あわせて」、今日はここを動かしてここを止めるということを、毎日やっているのです。
 1日のうちでも、夜から朝にかけて火力を止めて供給力を絞っています。原子力は簡単にON-OFFができないので、100%動かしっぱなしです。そのため、深夜に電力が余ってしまうということがおきて、揚水式発電所というものが作られました。余った電力で水を汲み揚げておいて、昼に落として発電する仕組みです。東電では650万kW分の能力をもっています。
 このように、現在の「ピーク時供給力」は東電のさじ加減一つのところがありますので、その数字には注意が必要です。東電は「電力危機」をことさら演出するために「綱渡り」を演じてみせているかもしれないからです。

 今日(7/1)の読売新聞そうだっち!Q&Aには「需要最大時、発電可能な量」と大きな見出しが出ていました。まるで、東電の「発電能力」を表しているようです。あたかも、東電の電力供給が日々綱渡りであるかのように「煽って」いるのは、マスコミです。マスコミには、供給力の内訳や積算根拠を取材して、数字の根拠を国民に見せてほしいと思います。それだけの力はあるはずですし、その責任があるのではないでしょうか。
 利用者に細かい節電計画まで出させて節電を強制するなら、東電は、発電設備の能力など詳細データ並びに運転計画と実際の運転状況をすべてリアルタイムで公開し、本当の供給力を示すべきです。

(補足)
 上の表の30日の増加には、常磐共同火力勿来発電所9号機(60万kW)、1日には鹿島火力5号機(100万kW)の運転開始が関係しています。ここに来て、いよいよ、止めていた火力を動かし始めました。猛暑に対応して、7月半ば頃の稼働予定を早めてきている可能性があります。7月半ばには勿来発電所8号機(60万kW)が再開予定です。さらに、8月末までに広野火力発電所など大型発電所の震災復帰上積みも予定しています。
 このように、今後も需要に合わせて順次立ち上げていくでしょう。東電は今夏のピーク時供給力を5,620万kWとしています。今日の供給力よりさらに500万kWの余力を持っているということです。
 なお、柏崎刈羽原発の1、7号機が8月中に定期点検に入ります。東電の電力予想は8月末までですので当然これも織り込み済みです。そのときは、東電で動いている原発は柏崎刈羽の5、6号機のたった二つだけとなります。

読売新聞そうだっち!Q&A
 この記事の中で「福島第一、第二原発の停止でマイナス909万kW」と書かれていましたが、これも見せかけの数字。なぜなら、909という数字は第一第二の全設備容量ですが、もともと全10基の原発がすべて同時運転ということはありませんから、実際に停止によるマイナスはずっと小さな数字になります。

電気新聞「東電の供給力、震災後初めて5千万kW超え」
電気新聞「広野火力 運転再開に向け工事大詰め」 広野火力は津波で大被害を受けました。しかし、夏には再開できる。ここが原発とは大違いです。
東京電力の需給予想(プレスリリース) (追記)東電は7/1というタイミングで、夏の供給力を下方修正してきました。 今夏の需給見通しと対策について(第4報)

終わりの始まり~原発危機のなかで2011/07/03 22:34

 これは、私があるところに載せた原稿です。1ヶ月前ですが状況は今と何も変わっていませんので、改めてここに掲載いたします。

 作家の広瀬隆は近著「福島原発メルトダウン」の中で、今でも自分のことを「オオカミ少年」だと思ってくれていいと言っている。広瀬はこれまでずっと原発事故の危険性を訴えてきた。その言い方がややセンセーショナルなために陰でオオカミ少年と揶揄されることもあった。しかし、現実に事故は起こってしまった。そして、今も続いている。広瀬は、このままでは原発によって日本は滅亡すると言っている。さて、あなたはそれを信じて立ち上がるか、それともまた広瀬が吼えていると言って座視するか。オオカミ少年はイソップの寓話、嘘つきはいけないという子供への教訓話のように思われているが、大人たちに対しては“先入観によって人を信じないことの危なさ”という教訓が隠されている。
 また、こういうのもある。「ずっとウソだった」これは斎藤和義の昨年のヒット曲「ずっと好きだった」の歌詞に原発批判を加えたカバーソング。斎藤自身がYouTubeに流して話題になった。これまで多くの人々が「原発は安全」というウソを信じさせられていた。あなたは今でもそれを信じられるか。この歌、お上の言うことを鵜呑みにしてはいけないという痛烈な皮肉である。

原発危機と学校
 3.11直後の週明け、私の勤務校では普通どおりの日常が始まろうとしていた。すでに、福島原発では最初の爆発が起こり放射能放出が始まっていた。職員室のテレビには煙を上げる原発が映し出されている。私は朝会で、放射能の大量放出が起きたら学校はどうするのかと問いただした。校長も教頭もポカンとして、県からは何も指示がありませんと答えるだけ。それ以上本当に何もないのだ。危機感がまったくない。それが、埼玉の学校の現実だった。もしものことが起きたらそのときは自分で判断するしかないと思った。
 その後、幸い最悪の事態は免れている。埼玉では、3ヶ月たった今、何もなかったように何一つ変わらない学校の日常が続いている。それにしても職員室入り口に置かれた消毒薬を見て2年前の新型インフルエンザ騒ぎを思い出す。あの時、学校には次々と通達が下りてきて、やれマスクだ消毒だと右往左往していた。それと今回の対応はあまりにも違っている。今回のことでは、国も教育委員会も何一つ具体的な対応を取っていない。
 実はそのことが、福島県でも基本的に変わらないことに私は愕然とする。文科省は新学期に入ってようやく福島県に通知を出し、学校として何らかの対応を取るべきレベルを年間20ミリシーベルト超、校庭の放射線量が毎時3.8マイクロシーベルト以上という基準を示した。これにより、ほとんどの学校が「安全宣言」となってしまった。一般公衆の被曝限度は年間1ミリシーベルト以下である。20ミリといえばX線撮影400回分!現状では福島県内の学校の実に75%が「放射線管理区域」、20%はさらに上の「個別被曝管理区域」に相当するレベルとなっている。ただでさえ被曝の影響を大きく受ける子どもたちに、理不尽な放射線被曝を押し付けて平然としている文科省というのはいったい何なのだ。
 その後、福島県の親や住民を中心に基準撤回の大きな運動が起こったのは言うまでもない。文科省は原子力安全委員会との責任のなすり合いや小佐古内閣参与の辞任騒ぎなどのドタバタの末、最近ようやく新通知を出し、「1ミリシーベルトを目指し、低減策を講ずる」ことを認めた。しかし、結局最後まで児童生徒の「安全」のためという言葉を使わず、あくまで「安心」のための措置であるとしている。文科省は今でも20ミリ以下は安全だという宣言は撤回していない。
 さて、この文科省、昔は文部省だったのにいつの間にか名前が変わった。2001年に旧総理府所管の科学技術庁と合体して今の文部科学省となっていた。合体した科学技術庁は、1956年に総理府原子力局が昇格して発足したもので、文字通り一貫して原子力推進のための国家機関であった。つまり、文科省ではこどもの教育と原子力がまったく同じ役所の中で進められている。道理で、放射能被害を認め素直に頭を下げるわけがないはずだ。このままでは子どもたちが犠牲になる。

原発危機と戦時体制
 原発危機と戦争を結びつけるとオオカミ少年と言われるかもしれないが、あえて言いたい。
 まず第一に、原発は原爆から生まれた。アメリカにとって自らの核兵器を正当化するために核の「平和利用」が必要だった。特に日本でやる意味は大きい。それに乗ったのが中曽根康弘と正力松太郎だった。1954年のことである。
 二番目に、原発という国策推進のため国家総動員態勢が敷かれている。国家が多くのスタッフとカネを使って徹底したプロパガンダと洗脳を行っている。そして、NHKをはじめとする報道機関は、せっせと「大本営発表」を垂れ流している。科学者たちはこぞって御用学者に成り下がった。「不敗神話」と「安全神話」は同根である。
 第三に、原発は完全なる無責任体制である。東電と政府の責任の押し付け合い、政府内でも省庁に分散させられた担当がバラバラに動き誰も責任を取らない。かつての、政府と軍部そして天皇と、構造は同じだ。あの戦争ですら、いまだに責任追及がなされていないのだから、日本人は原発危機の責任を追及できるだろうか。
 第四に、原発は「多重防護」ならぬ「多重犠牲」システムである。消防士や自衛官が特攻隊のように働き、現場作業員が「フクシマ50」などと英雄視されているが、彼らは犠牲者だ。大量の被曝を強いられた。そして今は、福島の住民に、放射能汚染と被曝、そして数十万人の原発難民を生んでいる。内にも外にも犠牲を強いるシステムが原発である。
 最後に、この国は外圧でしか変わらないのだろうかということ。事故収束工程表はクリントン長官来日に合わせて発表され、メルトダウンを認めた報告書はIAEA査察とサミットのために作られた。すべてがこの調子だ。走り出した国策は自ら止めることはできないのか。広島長崎に原爆を落とされるまで止めることができなかったあの戦争。このままではいつか「原発危機」によって日本は破滅する。
 暗い話ばかりで申し訳ないが、まさに今が正念場である。(2011年6月10日セルク掲載)

高木仁三郎さんのこと2011/07/04 07:16

高木仁三郎さん
 高木仁三郎さんが生きていたら・・・とふと考えることがあります。
 日曜日に「反原発のカリスマ 高木仁三郎」という番組をやっていました。久しぶりに高木さんの声を聞いて懐かしい気持ちとちょっと申し訳ないような複雑な気持ちになりました。
 チェルノブイリ原発事故の後、高木さんが始めた「反原発出前講師養成講座」に参加した時のことを思い出します。高木さんは熱い運動家というより、クールな科学者という雰囲気でした。今さかんにカリスマと言われていますが、決して教祖様のような人ではありません。ただ、この人はものすごく誠実で本当に信頼できる人だと思いました。
 原発の最後を見届けることができずに旅立った高木さん、その遺志を私たちみんなが継いでいかなければと思います。

 「反原発のカリスマ 高木仁三郎」2011.07.03 サンデー・フロントライン YouTubeより
http://www.dailymotion.com/video/xjp8gn_yyyyyyyyyyyyyyyyy_shortfilms
著作権の関係でアップされてはすぐに削除されているようです。早めにご覧ください。もし、削除されていたら検索で新たにアップされた動画を探してください。

 「友へ 高木仁三郎からの最後のメッセージ」高木仁三郎の部屋・・・亡くなる前に書かれたメッセージです
http://cnic.jp/takagi/words/tomohe.html


 おすすめの本
「市民科学者として生きる 」(岩波新書)
「プルトニウムの恐怖」(岩波新書)
「原発事故はなぜくりかえすのか」(岩波新書)
「元素の小事典 」(岩波ジュニア新書)

ジャガイモの収穫(日記)2011/07/06 23:23

ジャガイモの収穫
 今日はジャガイモの収穫。ささやかな畑ですがコンテナ3杯にもなりました。植え付けをしたのが4月2日でしたから、ほんの3ヶ月ちょっとでこんなにたくさん採れて本当に感謝感激です。
 植えた頃は、この辺のカキ菜が出荷停止になったりして、放射能のひどい頃でした。はたして、このジャガイモは大丈夫だろうか?そんなことを考えながらいつも畑を見ていました。しかし、いざ、掘り始めると、大きなイモがゴロゴロ出てきてはうれしくて楽しくて、そんなこと忘れて夢中になっていました。
 畑の持ち主でもある隣のおばあちゃんも見に来て、立派なジャガイモに満足なようです。カキ菜の頃は放射能を心配していたおばあちゃんですが、今はまったくそんな素振りもなく、楽しそうに畑をやっています。いつのまにか、うちのおばあちゃんまで出てきてしまいました。平均年齢高すぎです。
 収穫したジャガイモは早速、秋田にいる娘に送ってやりました。妻とどうかなとちょっと思案しましたが「いつも秋田のいい野菜食べてるんだから、たまには足利の野菜食べたっていいだろ」という変な理屈で納得。
 晩ご飯には堀りたてのジャガイモをふかしてまるごと食べました。イモ掘りで疲れたからだにビールが美味い。自分で作った食べ物は格別です。
 さて、放射能はどうなのか?いろいろ考えてはみました。なにしろ、自分でこのジャガイモの放射能を測ることはできませんから。
 まず、公表されている 食品の放射能検査データをみました。すると、ジャガイモ(バレイショ)に関する主なデータです。いずれも1キログラム当たりのセシウム137の量です。
 福島県二本松市(6/23)56ベクレル
 その他、福島県内各地では 0ベクレルの所が多い
 群馬県沼田市(6/20)0ベクレル
 千葉県睦沢町(6/16)0ベクレル
これらのデータ自体が十分信頼できるとすれば、この辺りのジャガイモで高濃度汚染はないのかもしれません。
 次に放射性降下物の累積量を見ました。セシウム137は半減期が30年と長いので原発事故後に降り積もった放射能がそのまま土壌に残っていると考えられます。二本松市付近では1平方メートル当たり30万ベクレルに達する所もあります。前橋市では3000ベクレル、宇都宮市では1500ベクレルくらいです。ちなみに、福島県飯舘村では300万ベクレルを超えています。おそらく、この辺りの土壌の汚染度からみても、セシウムが高濃度で野菜に入ることはないと思います。
 一応、こんなことを考えて、このジャガイモ「食べても良し」としました。

 こんど、「放射能汚染と食品」について私の考えをまとめたいと思います。

20年ぶりの反原発出前講師(日記)2011/07/09 23:02

小道具新作:ペレットと燃料棒
 今日は、原発の話を頼まれて小さな集まりに行ってきました。おそらく、20年ぶりの「反原発出前講師」です。
 放射能汚染の実態、20ミリシーベルト問題、福島原発で何が起こり今どうなっているのか、電力不足は本当かなど、このブログで取り上げてきたようなことをお話ししました。昔、出前には必ず何かしら小道具を用意しました。今回の新作はペレットと燃料棒の部分模型です(写真)。

 さて、今回私を呼んでくれたのは、友人の関わっている障害者運動グループの人たちです。車イスで介護者付きの参加でした。そんな訳で、障害者運動と反原発運動の関係は?という質問があり、参加者の皆さんと一緒に私も考えてみました。

 障害者運動と反原発運動の関係
 一つは、効率追求と障害者排除の論理という問題です。効率や能率を追い求める社会システムを象徴するものの一つとして「原発」というシステムがあります。それに対して、非効率で足手まといな存在、マイノリティーとしての「障害者」という人たちがいます。結局、「原発」的システムは「障害者」的存在を排除することで成りたっているのではないでしょうか。「原発」は圧倒的に強者の論理によって成り立っています。
 もう一つは、「自分の命は自分のものだ」という当たり前のことが脅かされているということです。障害者であっても彼の命は彼のものです。ところが、障害をもった人たちは、障害者であるというだけで命を管理され握られてしまうことを余儀なくされています。障害者運動はそういうことに対してずっと異議を唱え続けてきました。「原発」は電気と引き換えの放射能によって、人びとの命を脅威に曝しています。自分のDNA=自分の命が勝手に傷つけられています。「自分の命が自分のものでなくなっている」ことに、ものすごい違和感、危機感、怒りをもつことが、反原発運動の原点だからです。
 講座からの帰り道、ずっと考えてきました。命の危機、生存の危機を感じるかどうかは、本能とか感性の問題かもしれません。データと理詰めでどれだけ反原発を訴えても、なかなか人の心を動かすことはできません。もちろん、真実を知ることはとても大事です。次に必要なのは、理屈でなく、感性(センス)です。感じるか感じないかはとても大きな違いです。反原発運動を「集団ヒステリー」と揶揄した人がいますが、理屈の通じない連中がコワイから、そんなことを言うのでしょう。

 「反原発出前講師」引き受けます!