3/12朝にはメルトダウンを把握していた2011/06/04 14:42

 昨日(6/3)と今日(6/4)の原子力安全保安院の会見で発表されたことです。
 地震の翌日3月12日の午前8時半過ぎ~午後1時半ごろには、浪江町や大熊町、南相馬市で大気中のちりから放射性物質テルル132を検出していた。
 また、同日午前8時39~49分、第1原発から約7キロの福島県浪江町での大気分析で、放射性のヨウ素やセシウムなどが1立方メートルあたり1.8~90ベクレル検出された。
 ここから二つの重要な事実が分かります。一つはすでに原子炉の中身が漏れ出していること。最初のベントが午前9時ですから、その前に原子炉または配管系が破損して冷却水または蒸気が漏れていたことになります。さらに、テルル132が検出されたということは燃料棒が高温状態になっていることがわかります。少なくとも1000℃以上にならないと出て来ない物質だからです。
 炉心が融け始め、すでに中身が外に漏れている。うがった見方をすれば、どうせ漏れているならベントで出しても同じ!早くベントしないと原子炉の破壊がばれてしまう!と考えたかも知れません。(実際は未明からベントを試みるが失敗して極度の混乱状態にあったようです。)
 そして、直後の9時に最初のベントを行い内部放射能を放出しました。その後、広い範囲でセシウムやヨウ素、テルルなども検出されていったのは、ベントのせいだと信じ込まされていました。
 結局、政府はその時点で把握していた「原子炉の破壊」、「炉心溶融」を隠したことになります。今後、事故収束と並んで、責任追及がなされなければなりません。

(参考)当時の保安院会見状況
 3/12の保安院の会見は中村審議官が行なっていました。
午前2時と4時に1号機の圧力が上がっていると発表。6時には施設内の放射線量が1000倍と発表。そして、9時の会見でベント開始を発表。午後2時前の会見で、セシウム検出と「炉心溶融の可能性」を認める。3時半すぎ水素爆発。6時の会見では調査中を繰り返すのみ。
 翌13日の会見で会見担当審議官が突然交代。一説では「中村審議官は国民の不安を煽った」として更迭されたという話です。これ以後、保安院の会見は曖昧模糊としたものになり、今に至っています。保安院が守っているのは、秘密なんですね!

原発「減らす・なくす」6割超えた・・・世論調査2011/06/05 07:38

原発世論の変化
 ついに脱原発を選ぶ人たちが6割を超えました。これは日本では画期的なことです。今朝(6/5)の読売新聞に世論調査の結果が載っていました。それによると、「今後、原子力発電をどうしたら良いか」という問に対して、「すべてなくす」16%、「減らすべき」45%、「現状維持」32%、「ふやす」2%という結果でした。「なくす+減らす」で61%、大マスコミや政府が行なった原発に関する世論調査では、おそらく初めてのことだと思います。私はこれまでずっと少数派の、それもごく一握りの中に入っていました。同じような考え方を持つ人たちがこれほど増えて、自分が多数派の中にいることは感慨深いものがあります。
 いつまでたっても何の進展もない原発事故に人々は苛立っています。政府や東電に対する不信は深まるばかり。先の見えない不安感、どうしようもない閉塞感。もういい加減にしてくれ!というのが人々の正直な気持ちでしょう。こんな不安やリスクを抱えながら、そこまでして原発をやっていく必要があるのかと、漠然と感じている人が多いのです。
 あとは、この人々の声を政治に反映させることです。結局ヨーロッパで起きている脱原発の大きなうねりは国民の声に推されたものです。ドイツ、イタリア、スイスなどなど。日本にもこうした動きを作っていかなければなりません。

 6.11(3ヶ月の節目)には全国でデモや集会など様々な動きが予定されています。まずは、私たちの声や気持ちを形に表すため、こういった動きに参加するのはいかがでしょう。もし、日本でも10万人が都心を埋め尽くせば、世の中は一気に変わるかも知れません。

脱原発系イベントカレンダー

青森県と原子力の因縁2011/06/06 07:15

1986年4月9日、反核燃の日
 青森県知事選挙で原発推進派の現職知事が当選したというニュースを聞いて複雑な気持ちです。

 20年以上前、生徒たちと一緒に青森県下北半島を旅したことがあります。夜行で翌朝八戸に着いて、それからさらに何時間もかかりました。とにかく遠かった。私たちは、当時すでに大きな問題になっていた六ヶ所村再処理工場予定地や原子力船むつに揺れるの関根浜などを回ってきました。六ヶ所では広大な葦原の丘陵上に建設地点を示す鉄塔が建っていて標識灯が点滅していたのを憶えています。原子力船むつも間近で見てきました。関根浜では地元で反対運動をやっている漁師の話を聞いたりしました。このあたりは大間のマグロで有名なところですが、その晩もとびきり美味しいマグロをみんなで豪快に食べて語り合ったのを懐かしく思い出しました。

 その後、原子力船むつは廃船となり原子炉も解体されました。しかし、再処理工場建設や新たな原発立地などで、下北半島一帯はさながら日本の原子力基地のようになりつつあります。六ヶ所村の再処理工場は完成目前という段階。東通原発はすでに東北電力の1基が運転を開始、東京電力の1基が建設中、さらに2基が計画中。津軽海峡に突き出た大間には電源開発の原発1基が建設中です。

 さて、どうして、ここに再処理工場や原発がやってきたのでしょう。今から40年以上も前の1969年、当時の知事や政治家がよってたかってバラ色の「むつ小川原巨大開発計画」をぶち上げました。ところが大失敗、巨額の借金と広大な荒れ地が残りました。ちょうどこのころ、日本各地で原発が運転を開始、ところが、たまり続ける核廃棄物をどうするかメドがたたず、国や電力会社は処理問題に頭を抱えていたのです。1983年に総選挙のために来県した当時の中曽根首相が「下北を原子力のメッカにする」とぶち上げたことから、一気に動き出しました。周到に地元首長らを取込み強引に立地を進め、1985年には知事も県議会も受け入れ決定。地元漁民らの文字通り命がけの反対運動を押しつぶして、1993年ついに着工してしまいました。決して、地元民がカネと仕事欲しさに誘致したのではありません。国が、政治家が頭ごなしに持ち込んだものなのです。長い歴史と因縁があります。

 あまりにもいろいろな問題が集中していてその歴史も因縁も深くてとても一言では語れません。再処理工場は日本中の原発から出る使用済み核燃料を再処理してプルトニウムを取り出す施設です。再処理工場では原発が1年で放出する放射能を1日で出すと言われています。
 その再処理工場は着工後18年たっても完成していません。当初建設費7600億円だったものが、2011年2月現在で2兆1930億円に膨れ上がっています。高レベル廃液漏れ事故やトラブル続きで完成が延び延びになっています。さらに、今回の地震では外部電源を喪失して危機一髪がありました。ここにはすでに全国から集められた使用済み核燃料など核のゴミが大量に保管されています。このような施設が青森県に作られていることを多くの人に知ってもらいたいと思います。再処理工場の危険性については、また改めて書きます。

 昨年久しぶりで八戸に行ってきました。今度も美味しい魚をいっぱい食べてきました。屋台のマスターが「この辺じゃ親に育てられたもんはいねえ、ばあちゃんに育てられてる、だってみんな出稼ぎでいねから」と言ってたのを思い出します。八戸も震災でだいぶやられました。1日も早い復興を願っています。
 原発の問題は、過疎や格差という地方のおかれた現実と深くかかわっています。都会に暮らしながら、青森県の人はなぜ原発を受け入れちゃうのだろうと不思議がっているだけでは、何も変わりません。

選挙結果を伝える記事
毎日新聞

「ミツバチの羽音と地球の回転」2011/06/07 20:25

ミツバチの羽音と地球の回転
 これまた、自分が観る前に紹介することをお許し下さい。前作「六ヶ所村ラプソディー」がとても良い作品でしたので、これも見たいと思っています。6/4から渋谷ユーロスペースで再上映スタート。鎌仲ひとみ監督による紹介文を転載いたします。


持続可能を求める旅———私たちが切り開く未来のイメージ
  鎌仲ひとみ監督

前作、 「六ヶ所村ラプソディー」では原子力産業の最前線で生きる六ヶ所村の人々を取材しました。
どのようなエネルギーを選択するのか、今、私たちは問われています。
地球温暖化という国境を越えた環境破壊が進む時代に生きる私たちは、私たち自身の生活が環境破壊につながるというジレンマに直面しています。

このジレンマを解く道はないのか、とこれから作る作品で改めて問いかけたいのです。
構造的な環境破壊を根本から見直し、新しいエネルギーの作り方、使い方を探りながら社会のシステムそのものをシフトしていかなければ未来がないことを多くの人が理解し始めています。
ではどのようなエネルギーに、社会に、どうやってシフトしていけばいいのでしょうか?

私はそのヒントがスウェーデンにあるのではないか、と注目してみました。
スウェーデンは脱原発を国民投票で決め、2020年までに石油にも依存しない社会づくりをめざしています。
実はエネルギーをシフトする背景には民主主義や情報の透明性、そして人権意識の高さがあることが見えてきました。スウェーデンはCO2を削減しながらゆるやかながらも経済成長を続け、質の高い福祉を実現しています。
日本とスウェーデンの違いはいったいどこにあるのでしょうか?

目下、山口県上関町で新たな原子力発電所の建設計画が進められています。
この原発は瀬戸内海の入り口にある美しい湾を埋め立てて建設されます。この原発予定地の真向かいに位置する祝島の人々は建設に26年間、反対してきました。
しかし、島民の思いとはうらはらに計画は進んでいます。埋め立て予定地、田ノ浦は海底から淡水が湧く多様な生物の楽園です。祝島の漁師にとっても最高の漁場です。
祝島の人々の暮らしが持続可能でなければ、私たち自身もまた、持続可能ではありません。

「持続可能」という言葉は実に多様な意味を含んでいます。
その中でも私が最も大切だと考えるのは自然の法則に逆らわないということです。
今回の作品で表現し、伝えたいと思っているのは普段私たちが見過ごしている自然循環の大きな力です。それを敵にするのではなく、共に生きるという感覚です。
実は、私たちの先人たちがそうやって生きて、1000年も2000年も文化や地域を持続させてきたのです。その生き方を再発見し、現代のテクノロジーと共に生かしてゆくという課題があります。それが、私たちの持続可能で安心できる未来のイメージとなるのではないか、という予感がしています。
一方で絶望的とも思える現実を直視しながら、もう一方で今、存在する可能性と希望を、それがたとえどんなに小さくともあきらめない、そんな眼差しを持ってこの映画を制作したいと望んでいます。

この映画は旅するカメラの記録です。
まったくかけ離れた場所で生きる人間の営みを一本の映画にすることで私たちがこれからどうしたらいいのか、見えてくるのではないかと期待しています。社会をシフトする人間のエネルギーやネットワークが生れるためのメディアになりたいと思っています。

詳細はオフィシャルサイトをご覧ください。