終わりの始まり~原発危機のなかで2011/07/03 22:34

 これは、私があるところに載せた原稿です。1ヶ月前ですが状況は今と何も変わっていませんので、改めてここに掲載いたします。

 作家の広瀬隆は近著「福島原発メルトダウン」の中で、今でも自分のことを「オオカミ少年」だと思ってくれていいと言っている。広瀬はこれまでずっと原発事故の危険性を訴えてきた。その言い方がややセンセーショナルなために陰でオオカミ少年と揶揄されることもあった。しかし、現実に事故は起こってしまった。そして、今も続いている。広瀬は、このままでは原発によって日本は滅亡すると言っている。さて、あなたはそれを信じて立ち上がるか、それともまた広瀬が吼えていると言って座視するか。オオカミ少年はイソップの寓話、嘘つきはいけないという子供への教訓話のように思われているが、大人たちに対しては“先入観によって人を信じないことの危なさ”という教訓が隠されている。
 また、こういうのもある。「ずっとウソだった」これは斎藤和義の昨年のヒット曲「ずっと好きだった」の歌詞に原発批判を加えたカバーソング。斎藤自身がYouTubeに流して話題になった。これまで多くの人々が「原発は安全」というウソを信じさせられていた。あなたは今でもそれを信じられるか。この歌、お上の言うことを鵜呑みにしてはいけないという痛烈な皮肉である。

原発危機と学校
 3.11直後の週明け、私の勤務校では普通どおりの日常が始まろうとしていた。すでに、福島原発では最初の爆発が起こり放射能放出が始まっていた。職員室のテレビには煙を上げる原発が映し出されている。私は朝会で、放射能の大量放出が起きたら学校はどうするのかと問いただした。校長も教頭もポカンとして、県からは何も指示がありませんと答えるだけ。それ以上本当に何もないのだ。危機感がまったくない。それが、埼玉の学校の現実だった。もしものことが起きたらそのときは自分で判断するしかないと思った。
 その後、幸い最悪の事態は免れている。埼玉では、3ヶ月たった今、何もなかったように何一つ変わらない学校の日常が続いている。それにしても職員室入り口に置かれた消毒薬を見て2年前の新型インフルエンザ騒ぎを思い出す。あの時、学校には次々と通達が下りてきて、やれマスクだ消毒だと右往左往していた。それと今回の対応はあまりにも違っている。今回のことでは、国も教育委員会も何一つ具体的な対応を取っていない。
 実はそのことが、福島県でも基本的に変わらないことに私は愕然とする。文科省は新学期に入ってようやく福島県に通知を出し、学校として何らかの対応を取るべきレベルを年間20ミリシーベルト超、校庭の放射線量が毎時3.8マイクロシーベルト以上という基準を示した。これにより、ほとんどの学校が「安全宣言」となってしまった。一般公衆の被曝限度は年間1ミリシーベルト以下である。20ミリといえばX線撮影400回分!現状では福島県内の学校の実に75%が「放射線管理区域」、20%はさらに上の「個別被曝管理区域」に相当するレベルとなっている。ただでさえ被曝の影響を大きく受ける子どもたちに、理不尽な放射線被曝を押し付けて平然としている文科省というのはいったい何なのだ。
 その後、福島県の親や住民を中心に基準撤回の大きな運動が起こったのは言うまでもない。文科省は原子力安全委員会との責任のなすり合いや小佐古内閣参与の辞任騒ぎなどのドタバタの末、最近ようやく新通知を出し、「1ミリシーベルトを目指し、低減策を講ずる」ことを認めた。しかし、結局最後まで児童生徒の「安全」のためという言葉を使わず、あくまで「安心」のための措置であるとしている。文科省は今でも20ミリ以下は安全だという宣言は撤回していない。
 さて、この文科省、昔は文部省だったのにいつの間にか名前が変わった。2001年に旧総理府所管の科学技術庁と合体して今の文部科学省となっていた。合体した科学技術庁は、1956年に総理府原子力局が昇格して発足したもので、文字通り一貫して原子力推進のための国家機関であった。つまり、文科省ではこどもの教育と原子力がまったく同じ役所の中で進められている。道理で、放射能被害を認め素直に頭を下げるわけがないはずだ。このままでは子どもたちが犠牲になる。

原発危機と戦時体制
 原発危機と戦争を結びつけるとオオカミ少年と言われるかもしれないが、あえて言いたい。
 まず第一に、原発は原爆から生まれた。アメリカにとって自らの核兵器を正当化するために核の「平和利用」が必要だった。特に日本でやる意味は大きい。それに乗ったのが中曽根康弘と正力松太郎だった。1954年のことである。
 二番目に、原発という国策推進のため国家総動員態勢が敷かれている。国家が多くのスタッフとカネを使って徹底したプロパガンダと洗脳を行っている。そして、NHKをはじめとする報道機関は、せっせと「大本営発表」を垂れ流している。科学者たちはこぞって御用学者に成り下がった。「不敗神話」と「安全神話」は同根である。
 第三に、原発は完全なる無責任体制である。東電と政府の責任の押し付け合い、政府内でも省庁に分散させられた担当がバラバラに動き誰も責任を取らない。かつての、政府と軍部そして天皇と、構造は同じだ。あの戦争ですら、いまだに責任追及がなされていないのだから、日本人は原発危機の責任を追及できるだろうか。
 第四に、原発は「多重防護」ならぬ「多重犠牲」システムである。消防士や自衛官が特攻隊のように働き、現場作業員が「フクシマ50」などと英雄視されているが、彼らは犠牲者だ。大量の被曝を強いられた。そして今は、福島の住民に、放射能汚染と被曝、そして数十万人の原発難民を生んでいる。内にも外にも犠牲を強いるシステムが原発である。
 最後に、この国は外圧でしか変わらないのだろうかということ。事故収束工程表はクリントン長官来日に合わせて発表され、メルトダウンを認めた報告書はIAEA査察とサミットのために作られた。すべてがこの調子だ。走り出した国策は自ら止めることはできないのか。広島長崎に原爆を落とされるまで止めることができなかったあの戦争。このままではいつか「原発危機」によって日本は破滅する。
 暗い話ばかりで申し訳ないが、まさに今が正念場である。(2011年6月10日セルク掲載)