事故調査・検証委員会中間報告を読む ― 2011/12/28 20:18
12/25、事故調査・検証委員会の 中間報告が公表されました。12/2に出された東電自身による事故報告書とはさすがに大違いです。報告書はネット上に公開されています。かなりの分量ですが、これは実際に読むことをお進めします。非常に読み応えがあります。先日放送されたNHKスペシャルの再現映像なども思い出しながら、読まれると良いと思います。
東電や国の対応がどうだったか、という点に関してはこれまでで一番踏み込んだ検証報告だと思います。事故対策、事故対応いずれをとっても「ヒューマンエラー」の側面を大きく捉えています。例えば、事故対策の面では、事前に15m超の津波の予測データがありながら「想定外」は許されないと指摘、過酷事故時の非常冷却法などの対応訓練がまったくされていないことなど、「甘すぎる対策」を批判しています。また、事故後の対応をめぐっては、1号機の非常用復水器(IC)操作に関する決定的な不手際、代替注水手段がないのに3号機の高圧注水系(HPCI)を途中で止めたことなど、「極めて不適切」「極めて遺憾」として批判しています。さらに、現場運転員、発電所幹部、東電、国(官邸、保安院、原子力安全委員会)の間で情報伝達、情報共有、状況認識、判断、連携、それらすべてに問題があると、厳しく批判しています。
報告書を読んでいくと、まさに次から次ぎへとミスやエラーが連鎖的に起こっていく状況が浮かび上がってきます。スリーマイル島原発事故の時もそうでした。非常事態の混乱状態の中で、正確な状況把握あるいは的確な状況認識、事態の進展に対する適切な想像力、そしてその時点の最善の処置、そのいずれもが極めて困難であることも良くわかります。現場対応に関する調査検証結果を読んで思うことは、普通の人間が原子炉を操っている以上、これだけのことをすべてノーミスでやることなんておそらく「不可能」かもしれないということです。映画の主人公のようにはいかないのです。しかし、原発に「ミス」は許されないのです。職責を果たせなかった結果に対する責任は重大です。
報告書における国(特に官邸)の対応に関しては、まだ問題提起のレベルだと思います。SPEEDIを公表しなかった経緯についてなどについても、引き続き調査するとしています。事故直後のモニタリングの問題点も指摘していますが、この辺りは今に続く情報隠しの問題にも関係しています。また、枝野官房長官(当時)の「直ちに人体に影響を及ぼすものではない」とのコメントについても「不適切」と批判しています。報告書を読んでいてもどかしく思うのは、事故後の対応に「責任逃れ」が感じられることです。というか、そもそも責任の所在がはっきりしていません。今後、当時の政府首脳部を含めた関係者の事情聴取が必要です。
このように、かなり踏み込まれた報告書ではあると思いますが、重大な視点が欠けています。原発自体の設計に関わる技術的工学的な問題点についてです。ここは踏み込みが足りないというか、ほとんど触れていません。地震そのものによる1号機配管破断の可能性についても、フェイルセーフの作動状況や運転員の会話記録などの状況証拠のみで、それを否定しています。建屋内の放射線レベル急上昇の原因も検証されていません。この調査委員会のメンバー構成からも設計上の問題検証は無理なことかもしれません。あるいは、意識的に避けているのかもしれません。この点については、おそらく今後もこれ以上追求されないかもしれません。なぜなら、原発の設計自体に問題があれば、日本中の原発がすべて止まってしまうからです。
ただ、この報告書で事故調査・検証委員会は、重大な原発事故を招いた責任が東京電力および国にあることをはっきり言っています。それだけでも、かなりの価値はあります。広瀬隆らが東電や国を刑事告訴していますが、刑事責任を問う際の証拠にもなるでしょう。事故調査・検証委員会は初めから刑事責任追及はしないとしています。しかし、これだけ社会全体に大損害を与えた事故を引き起こした責任はどこかでかならず追求されなければなりません。そこがいまだにうやむやになっていることは大問題です。
来年夏には最終報告が出る予定ですので、検証結果に注目したいと思います。事故後、政府が行った数々の対応についても検証を進めるとしています。避難区域の設定や様々な規制値の設定など現在進行中の問題に関しても、どのような検証をするのか注目です。
このように問題の多い報告書ですが、中には文学的な表現も見られます。これは誰の作文なのでしょう。柳田邦男あたりでしょうか。報告書の最後の部分、「想定外」という言葉を批判した一節から一部を引用し紹介します。
> 原子力発電は本質的にエネルギー密度が高く、一たび失敗や事故が起こると、かつて人間が経験したことがないような大災害に発展し得る危険性がある。しかし、そのことを口にすることは難しく、関係者は、人間が制御できない可能性がある技術であることを、国民に明らかにせずに物事を考えようとした。それが端的に表れているのが「原子力は安全である。」という言葉である。一旦原子力は安全であると言ったときから、原子力の危険な部分についてどのような危険があり、事態がどのように進行するか、またそれにどのような対処をすればよいか、などについて考えるのが難しくなる。「想定外」ということが起こった背景に、このような事情があったことは否定できない。<
東京電力福島原子力発電所における事故調査・検証委員会:中間報告
http://icanps.go.jp/post-1.html
福島原子力事故調査中間報告書(東京電力)
http://www.tepco.co.jp/cc/press/11120203-j.html
東電や国の対応がどうだったか、という点に関してはこれまでで一番踏み込んだ検証報告だと思います。事故対策、事故対応いずれをとっても「ヒューマンエラー」の側面を大きく捉えています。例えば、事故対策の面では、事前に15m超の津波の予測データがありながら「想定外」は許されないと指摘、過酷事故時の非常冷却法などの対応訓練がまったくされていないことなど、「甘すぎる対策」を批判しています。また、事故後の対応をめぐっては、1号機の非常用復水器(IC)操作に関する決定的な不手際、代替注水手段がないのに3号機の高圧注水系(HPCI)を途中で止めたことなど、「極めて不適切」「極めて遺憾」として批判しています。さらに、現場運転員、発電所幹部、東電、国(官邸、保安院、原子力安全委員会)の間で情報伝達、情報共有、状況認識、判断、連携、それらすべてに問題があると、厳しく批判しています。
報告書を読んでいくと、まさに次から次ぎへとミスやエラーが連鎖的に起こっていく状況が浮かび上がってきます。スリーマイル島原発事故の時もそうでした。非常事態の混乱状態の中で、正確な状況把握あるいは的確な状況認識、事態の進展に対する適切な想像力、そしてその時点の最善の処置、そのいずれもが極めて困難であることも良くわかります。現場対応に関する調査検証結果を読んで思うことは、普通の人間が原子炉を操っている以上、これだけのことをすべてノーミスでやることなんておそらく「不可能」かもしれないということです。映画の主人公のようにはいかないのです。しかし、原発に「ミス」は許されないのです。職責を果たせなかった結果に対する責任は重大です。
報告書における国(特に官邸)の対応に関しては、まだ問題提起のレベルだと思います。SPEEDIを公表しなかった経緯についてなどについても、引き続き調査するとしています。事故直後のモニタリングの問題点も指摘していますが、この辺りは今に続く情報隠しの問題にも関係しています。また、枝野官房長官(当時)の「直ちに人体に影響を及ぼすものではない」とのコメントについても「不適切」と批判しています。報告書を読んでいてもどかしく思うのは、事故後の対応に「責任逃れ」が感じられることです。というか、そもそも責任の所在がはっきりしていません。今後、当時の政府首脳部を含めた関係者の事情聴取が必要です。
このように、かなり踏み込まれた報告書ではあると思いますが、重大な視点が欠けています。原発自体の設計に関わる技術的工学的な問題点についてです。ここは踏み込みが足りないというか、ほとんど触れていません。地震そのものによる1号機配管破断の可能性についても、フェイルセーフの作動状況や運転員の会話記録などの状況証拠のみで、それを否定しています。建屋内の放射線レベル急上昇の原因も検証されていません。この調査委員会のメンバー構成からも設計上の問題検証は無理なことかもしれません。あるいは、意識的に避けているのかもしれません。この点については、おそらく今後もこれ以上追求されないかもしれません。なぜなら、原発の設計自体に問題があれば、日本中の原発がすべて止まってしまうからです。
ただ、この報告書で事故調査・検証委員会は、重大な原発事故を招いた責任が東京電力および国にあることをはっきり言っています。それだけでも、かなりの価値はあります。広瀬隆らが東電や国を刑事告訴していますが、刑事責任を問う際の証拠にもなるでしょう。事故調査・検証委員会は初めから刑事責任追及はしないとしています。しかし、これだけ社会全体に大損害を与えた事故を引き起こした責任はどこかでかならず追求されなければなりません。そこがいまだにうやむやになっていることは大問題です。
来年夏には最終報告が出る予定ですので、検証結果に注目したいと思います。事故後、政府が行った数々の対応についても検証を進めるとしています。避難区域の設定や様々な規制値の設定など現在進行中の問題に関しても、どのような検証をするのか注目です。
このように問題の多い報告書ですが、中には文学的な表現も見られます。これは誰の作文なのでしょう。柳田邦男あたりでしょうか。報告書の最後の部分、「想定外」という言葉を批判した一節から一部を引用し紹介します。
> 原子力発電は本質的にエネルギー密度が高く、一たび失敗や事故が起こると、かつて人間が経験したことがないような大災害に発展し得る危険性がある。しかし、そのことを口にすることは難しく、関係者は、人間が制御できない可能性がある技術であることを、国民に明らかにせずに物事を考えようとした。それが端的に表れているのが「原子力は安全である。」という言葉である。一旦原子力は安全であると言ったときから、原子力の危険な部分についてどのような危険があり、事態がどのように進行するか、またそれにどのような対処をすればよいか、などについて考えるのが難しくなる。「想定外」ということが起こった背景に、このような事情があったことは否定できない。<
東京電力福島原子力発電所における事故調査・検証委員会:中間報告
http://icanps.go.jp/post-1.html
福島原子力事故調査中間報告書(東京電力)
http://www.tepco.co.jp/cc/press/11120203-j.html
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