「原子力は即刻廃絶」〜小出裕章講演会in飯能(日記)2012/03/24 22:39

小出裕章講演会in飯能
 「原子力は即刻廃絶!」〜小出さんの主張はシンプルで明快で一貫しています。小出さんは短い言葉を使って物事をはっきり語ります。言葉を飾りません。わからないことはわかりませんとはっきり言います。いつも思いますが、その語り口から小出さんの強い信念と誠実さを感じます。
 印象に残った言葉を一つだけ紹介します。会場から「自然エネルギーにシフトさせるためにどうすれば良いか教えてください」という質問に対して、「すみませんが皆さんで考えてください」と答え、「私は原子力の専門家として私にできることをやっています。3.11の後、私に運動のリーダーになれとか、政治に関われとか、いろいろ求められたが、私にはできません。」「そもそも誰かに何かを期待する、誰かに指導してもらう、誰かをカリスマにしてしまう、そういう考え方が間違っています。」「そう思ったらそう思った人がやってください。これは自分が得意だ。これなら自分にできる。そういうことを、一人一人が、やってください。」・・・次はあなたの番ですよ!と、そんなふうに言われたような気がしました。
 私は、ぜひ一人でも多くの方々に小出さんの話を聴いてほしいと思います。今日、飯能の講演会には約千人の人々が集まりました。私も含めてここでインプットしたら、次は自分がアウトプットする番だと思います。身の回りの一人でも多くの人々に「伝える」ことは私たちの次にやるべきことの一つです。
 講演の模様はIWJによってネット中継されました。また、ネット上で録画がご覧になれます(下記リンク)。さらに、飯能地域のケーブルテレビでも収録され放映されるそうです。ぜひ、皆さんに見ていただきたいと思います。また、この記録を友人知人にも紹介、広めていただければと思います。

Ustream より
小出裕章さん 飯能講演会 2012.3.24 No.1(第1部:講演)
http://www.ustream.tv/recorded/21318928

小出裕章さん 飯能講演会 2012.3.24 No.2(第2部:質問タイム)
http://www.ustream.tv/recorded/21321147

今生きている人間に突きつけられたもの(日記)2012/03/19 23:31

 今日、友人の葬儀に参列しました。 昨年5/26のブログで紹介した友人です。足利の山里で有機農業を営んでいた彼は、長年、環境問題や原発反対にも取組んでいました。友人であり同志でもある長林寺住職が読経の後で弔辞を述べ、彼の生き方を讃えるとともに、自然と一体の生き方を取戻さなければならないと、参列者を前に「脱原発」を訴えられました。私は葬儀の場で正面切って原発問題が語られたことに驚きました。彼の死は、我々に「生き方」を問いかけているような気がしてなりません。心に残った住職の言葉をご紹介したいと思います。なお、長い弔辞のごく一部で、しかも、あくまで私の記憶で書いていますので、住職の言葉通りではありません。

>弔辞より
 彼は、正真正銘のエコロジストでありナチュラリストでした。しかもそれを単に主張するだけでなく自分の生活そのもので実践してきました。彼は、私にとって同志です。20年くらい前、共に行政と闘った仲間でした。当時、松食い虫防除のためと言って、足利の山々に人里に強力な農薬が無差別に空中散布されました。私たちは環境と命を守るために立ち上がり、市と県と国を相手に闘いました。彼は高い理想と強い信念をもって生きてきました。3.11の時、彼はすでに病床にありましたが、これを一体どんな思いで迎えていたでしょう。テレビや新聞などは病状に悪いからと止められてたそうですが、彼にはすべて分かっていたようです。我々が作った今の世界に対する一つの答えが出たのです。原発事故によって明らかになったことがあります。倫理が問われています。科学万能主義のもとひたすら大きな力大きなエネルギーを目指して邁進してきた私たち人類は大きな間違いを犯しています。今こそ、シューマッハーが唱えた「スモールイズビューティフル」の精神に立ち返り、原発を廃絶し原発に頼る生き方を断ち切らなければなりません。今を生きる私たちは、死んでいった遠い祖先たちや生まれ来る未来の人たちすべてとのつながりの中にあります。私たちは、世代を超えた責任を自覚して、今を生きなければいけません。本来の自然と人間との関係、自然に敵対しない生き方、自然と共生する生き方、これを取戻さなければ私たちの未来はありません。これらの決意を確認して誓いたいと思います。安らかに眠ってください。合掌

3.10と3.11〜戦災と震災(日記)2012/03/09 19:58

 3.10から67年が経ちます。年老いた母は3.10をよく憶えています。昭和20年3月10日夜、北関東の足利からも南東の空が赤くなって見えたといいます。母の実家では、娘のいる足利市街が燃えているのではと心配したと言います。それほど空を赤く染めた火は、はるか離れた東京が燃えている赤い火、東京の大空襲の火だったのです。
 1945年3月10日未明、アメリカ軍のB-29爆撃機の大編隊が東京を襲い、下町を中心に焼夷弾を雨あられと落として、町を焼きつくし、なんと一晩で10万人もの市民が殺されました。これが「東京大空襲」です。10万人が死んでも、それは長い戦争の数多くの悲劇の中のほんの一部です。広島長崎の原爆でも30万人の市民が犠牲になりました。
 私は母に、日本人はどうしてアメリカを憎まないのだろうと聞きました。だって、鬼畜米英って叫んで闘っていたのでしょう?と。母は困ったように、戦争だからと言うだけでした。
 もし、自分の大切な人が戦争で死んだらどう思うだろう。何で死んだのか、誰のせいで死んだのか、そもそも死んだのではなくて殺されたのだ、なぜだ?って、きっと考えるだろうと思います。何十万人何百万人の犠牲者のまわりに渦巻いているはずのそんな恨みや思いはいったいどうなっているのだろう。私は、ずっと疑問に思っていました。
 日本では、このような悲惨な出来事を「戦災」と言っています。この言葉にはずっと引っかかっていました。人間の所業である戦争がまるで自然災害のようです。このような捉え方は責任を曖昧にします。結局、日本は戦争の責任を明らかにしないまま今日に至っています。

 3.11「東日本大震災」から1年が経ちます。3.10「東京大空襲」と67年と1日違い。まったく違う出来事のようですが、私は何か似通ったものを感じます。
 大地震と大津波は大自然の猛威です。しかし「原発事故」は天災ではありません。危険な原発を運転し事故を起こしたのはまさに人間の仕業であり人災です。自然災害としての「震災」と、人災としての「原発事故」は明確に分けて捉えなければいけません。
 ところが「震災」という言葉の中に十把一絡げにして「原発事故」と言わずに済ませる風潮があります。言葉による事故隠しが行われているように思います。「原子力災害」と言ったり、放射能汚染に苦しんでいるのに「震災の影響で」と言うようなことです。
 このままでは、あの戦争と同じことになるような気がします。戦争を戦災に言い換えて、戦争の責任を曖昧にしたまま、とにかく復興と突っ走って、ここまで来ました。日本は、生まれ変わったと思っていましたが、実は、何も変わっていなかったのかも知れません。今の日本は、原発事故の責任を曖昧にしたまま、とにかく復興だ「がんばろう日本!」と叫んで突っ走ろうとしています。
 戦争も原発も人間がやったことです。天から降ってきた災いではありません。人間の責任を明らかにしなければ、きっとまた同じことを繰り返します。それが日本の文化ではないと思いたい気持ちです。

信じられないのは温度計ですか?それとも東電ですか?(日記)2012/02/13 20:26

「木で鼻を括る」東電記者会見
 昨日から今日にかけて、腹が立ってしかたありません。このところ2号機の温度が上昇していましたので、毎日東電が発表するデータを見ていました。理系のクセなのか、数字やデータのついついこだわってしまいます。徐々に上がっていく温度を見つめながら、原因はなんだろう、また部分臨界が起こっているのではないか、そもそも原子炉の中はどうなっているのだろう?と・・・
 ところが、80℃を超えたとたん「温度計の故障」なんてあっさり言い放つ東電に、激しい怒りを憶えます。それにしても東電の対応はある意味予想通りでもありました。これまでも、怪しいデータが出ると「計器不良」、原子炉水位、温度、圧力など重要なデータを後で訂正したり、あげくの果ては臨界を示す物質を検出したと言った直後に間違いだったと言ったり、そんなことは何度もくりかえしてきたからです。
 はっきり言って、東電が出してくるデータは第三者による検証が不可能です。いまだに現場は、東電が押さえて管理して支配しているのですから、データは東電の手のうちにあります。今回も東電が温度計の故障説を出したとたんに、保安院はそれを容認するという手回しの良さ、本来ならば保安院が現場に乗り込んで検証するくらいは当たり前です。事故を起こしている当事者の東電から現場の管理権限を取り上げて国が直接管理すべきです。もっとも国にその能力があるとは思えませんが。能力が無いなら原発はやめましょう。
 低い温度を示している温度計は正常なのですか。そもそも問題の温度計もついこの間まで正常と言っていたのではありませんか。都合の良いデータを出しているうちは「正常」で、不都合なデータを出し始めると「故障」。どうも、科学とは別次元の話のような気がしてなりません。注水後に温度が下がり始めたときは、注水によって冷却されたと言っていました。下がるときは正常なんですね。都合良過ぎます。
 東電は、キセノンが検出限界値以下だから再臨界はないと言っていますが、キセノン測定装置の不良は考えないのでしょうか。(12日午前3時にキセノン検出という情報が東電から出てすぐ否定されたという情報もあります)
 今日は280℃にまで上昇しています。温度計の近くで部分臨界が起きたとか、溶岩のようになった燃料が温度計に接触しているとか、という可能性はまったくないのでしょうか。そもそも、炉内の状況はすべて想像なのです。信頼性の乏しい限られたデータとシミュレーション計算でああだこうだ言ってるだけです。それも東電のさじ加減一つで結果が変わるのです。
 もしかしたらみんな東電に振り回されているだけなのではと思うこともあります。バカらしくなってきます。想像しても仕方ありません。もうメルトダウンしてメルトスルーして原子炉はもぬけの殻、格納容器も突き破って地下でマグマになっていると思って、物事を見た方が良さそうです。
 今日は「日記」として書きました。

生で見て聴いた早川由紀夫教授〜「明るく楽しい放射能リスク学習会」(日記)2012/01/17 20:49

早川由紀夫教授(友人撮影)
  越谷で早川由紀夫教授の 「明るく楽しい放射能リスク学習会」が開かれました。もはやネット上では超有名人の早川由紀夫教授、昨年はツイッターでの”過激”発言で大学当局より処分まで受けていますので、いったいどれだけ”過激”で”怖い”先生なのかと、内心ビクビクしながら参加しました。100人近く入る会場は満員、やはり8割以上は女性、お母さんたちでした。当日は ユーストリームの中継もされています(画像はかなりひどいですが、声は入っています)。
 科学者にキャラは関係ないのかもしれませんが、私は早川教授のキャラクターにも興味があります。群馬大学から処分されて妨害されながらも電気を消して 記者会見した様子など拝見すると、どんな人なんだろうとすごく気になっていました。
 生で見て聴いた早川教授は実際は決して怖い人ではありません。優しそうですし、茶目っ気があり、クールで、誠実という印象です。パワポを使いながらの話はリズムもテンポも良くてさすがプロです。短いフレーズの言葉ではっきりキッパリものを言うところが、かえって気持ち良いです。
 長々と人間性の話などをしてきましたが、実はこういうレベルの話になるところが、この国の悪いところかもしれません。自分で言っておいて勝手に反省していますが、あの時 「早川問題」として騒がれたのが、まさにこういう話でした。人間性うんぬんという話に持っていってしまうことで本質が見えなくなります。
 怖いのは早川教授ではなく放射能汚染の事実なのです。それをはっきりキッパリ言うから言葉が鋭く刺さるのかもしれません。科学者として事実に対して誠実な態度を感じました。「私は今どうなっているかを調べて皆さんに教えているが、それで皆さんがどうするかは自分で決めて下さい」という姿勢は誠実な科学者のものです。これに対して、事実を示さずにこうしろと言うのが日本政府のやり方ですから。
 さて、肝心な話の中身ですが、ごくごく簡単に紹介します。詳しくは丸ごと ユーストリームの中継でご覧ください。
 私としては専門の火山研究の話が面白かったです。過去の噴火の様子が火山灰堆積物から分かるという話や、噴火で火山灰や火山ガスがどのように拡散していくかのシミュレーションなど、結局それが放射能の拡散とフォールアウトの分析に役立っている訳です。早川教授が世に出した 「放射能汚染マップ」の話、原発から放出された放射性物質がどのように流れていったのか、改めて話を聴いて本当にゾッとします。3/15、放射能雲が首都東京の頭上を音もなく流れていたことなど、その当時はまったく知りませんでした。私はその日、クルマで埼玉を往復していました。もしその時に雨が降れば、関東も今の福島と同じになっていたでしょう。
 最後に、心に残った言葉を二つ紹介します。
「どんなことしたって人は死ぬんです。死なないために勉強するんじゃなくて、納得して死ぬために勉強するんです。」・・・科学は不老不死を求めてはいないだろうか、死なないことが目的ではないはず。「納得して死ぬ」ことができるかどうか。それが目的では。
 「人間は自然には勝てない。いくら気合いがあっても勝てない。愛があっても勝てない。それを知った上で、自然への畏怖を持ってその場から立ち去るしか生き残る方法はない」・・・ここで言う「自然」とは放射能と言い換えることもできます。

 早川由紀夫のツイッター @HayakawaYukio
ものすごいツイート量なのでフォローするのが大変ですが、言いたいことのほぼすべてはここで言っています。フォロワー4万人!