プルトニウムの拡散2011/10/02 01:18

プルトニウム検出地点(文科省)
 福島原発から45kmも離れた地点でプルトニウムが検出されました。セシウムのことばかりが騒がれていますが、プルトニウムの危険性はセシウムの比ではありません。今回はプルトニウムについて考えます。なお、同時にストロンチウムの検出データも公表されていますが、これについては改めてお話しします。
 プルトニウムの特徴は何と言ってもその毒性が極めて大きいことです。1グラムの100万分の1でも肺や骨のガンを引き起こします。プルトニウムはアルファ線という放射線を出します。アルファ線はヘリウム原子核と同じ粒子が飛び出したものです。ガンマ線などに比べ透過力は弱く、紙1枚で止まります。だからと言って弱いわけではありません。大きな粒だから紙を通り抜けないだけです。粒が衝突したところは、ものすごい破壊力を受けます。ガンマ線がバイクなら、アルファ線はダンプカーみたいなものです。一度体内の入ったプルトニウムは容易には排出されません。特に肺に吸い込まれたプルトニウムの超微粒子は肺胞に付着すると排出されずにアルファ線を出し続けます。ミクロのレベルで近接した細胞にアルファ線が当たるので、集中的に被曝を受ける細胞は極めて高い確率でガン化します。このため、極めて微量の体内被曝でも非常に高い確率でガンを引き起こすと考えられています。
 国は、プルトニウムが検出された地点にずっといた時の積算被曝量を試算して、セシウムよりずっと被曝量が少なく問題ないと評価しています。IAEAを根拠に内部被曝を過小評価しています。さらに、過去の核実験の影響まで引き合いに出して、特に問題ないと言っています。しかし、核実験で放出されたプルトニウムによる影響も必ずあったはずですが、証明できないだけです。
 少なくとも、45kmも離れた飯舘村でも検出されたということは、これまで国がプルトニウムは遠くまで飛ばないと言っていたことがウソだったということです。事故直後、多くの人がプルトニウムの飛散を恐れました。3号機はプルサーマル方式のウランとプルトニウムを混ぜた核燃料を使っていたからです。通常の原子炉でもプルトニウムが存在しますが、それとは比べ物にならないくらい大量のプルトニウムが入っています。今回3号機の爆発が一番大きなものでした。メルトダウンして2千数百℃にもなった核燃料からはウランもプルトニウムも漏れだします。そして微粒子になったものが爆発とともに高く吹き上げられ、放射能雲に乗って遠くまで飛散していったと考えられます。恐ろしいのは、その時多くの人々が放射能雲の中に取り残されていたということです。

文部科学省による、プルトニウム、ストロンチウムの 核種分析の結果について
http://radioactivity.mext.go.jp/ja/distribution_map_around_FukushimaNPP/0002/5600_0930.pdf

福島原発から45キロの地点でプルトニウム検出(ウォールストリートジャーナル日本版10/2)
http://jp.wsj.com/Japan/node_317561

◆今読んでもまったく古くない。亡くなるまでプルトニウムの問題を追及し続けた高木仁三郎の名著です。プルトニウムの問題点をもっと詳しく知りたい方にお薦めです。
高木仁三郎著「プルトニウムの恐怖」(1981)岩波新書/ Amazon書籍通販

>>プルトニウムのもうひとつの問題は「核兵器の原料」ということですが、これについても改めて考えたいと思います。

関東に広がる放射能汚染(その3)ー放射能汚染地図2011/10/08 08:25

放射能汚染地図+汚染ルート図
 10/6、文科省は東京都と神奈川県の放射能汚染マップを公表しました。この地図と、群大の早川先生の汚染ルートマップを重ねて見ると、事故直後の放射能雲の流れと汚染のタイミング、それによって今も残っている放射能汚染がはっきり見えてきます。(図は文科省によるセシウム134と137合計の地表汚染濃度地図に群馬大学の早川由紀夫教授による汚染ルート図を重ね合わせてみたものですが、両図とも詳細はオリジナルデータをご覧ください。)
 首都東京は、3月15日(火)午前中に放射能雲が通過していきました。この流れは早川教授が群馬ルートと名付けています。この日の東京の気象条件は、朝から曇で北東の風が吹き気温10℃の肌寒い日でした。東京にとってはそのとき雨が降らなかったのが幸いだったのかもしれません。
 もう一つの放射能雲の流れは、柏ルートと名付けられたものです。3月21日午前、水戸から柏付近を通って葛飾に至り東京湾へと流れました。この日関東地方は雨が断続的に降っていました。その雨がニュークリアレインとなり、柏市など東葛地方に濃い汚染地帯を残しました。東京では葛飾区から江戸川区あたりに汚染を残しました。東京にとって幸い、この後東京湾へと抜けて行ったようです。末端が木更津付近に達して汚染を残しています。
 大都市東京の多くは、汚染地図を見る限り、放射性物質の大量降下を受けずに済んだようです。ただ、東京に住む人々がこの地図を見て自分の所は良かったと安心されることを恐れます。この地図はあくまで現存の汚染量を示すものです。放射能雲が流れ込んだ当時の汚染状況を表すものではないということです。例えば、放射性ヨウ素などは相当飛来したと考えられますが、ヨウ素の汚染状況など今頃調べても分かりません。3/15は新宿のモニタリングポストでさえ0.5μSv/hを超える値を記録しています。当日の大気分析データではヨウ素131が1立方メートル当たり500ベクレル近く検出されています。 (3月15日 東京を襲った「見えない雲」)
 さて、東京を通過した放射能雲は奥多摩から秩父を通り、群馬県に流れ込んでいきました。山間部では多量の放射性物質を降下させて地表を汚染していきました。雲が地表に接する高さでは降雨がなくても放射性物質が森に漉しとられるように付着していったと考えられます。早川先生の群馬ルートの最終点魚沼地方まで原発から500km近く流れていったことになります。
 半年も経ってから、いろいろなことがはっきり分かってきました。放射能の流れや広がりを今になって知っても、意味の無い場合もあります。その時、放射能に曝された多くの人々、危険を知らされずに放射能の中にいた多くの人々、私や私の家族も含めたそのような人々にとって、今更そんなことを言われても意味がありません。SPEEDIを使って事故直後に拡散予測をしながら隠し続けた国の罪はまさに国家犯罪です。
 3/15、私は学校に出勤しました。学校は通常通りに開かれ生徒は登校してきました。こんな状態でこんなことやっていて良いのですかと主張しても、県からは何の指示もありませんと言われたことを思い出します。子どもたちが普通に外を歩き回っていました。
 7ヶ月後の汚染地図を見て、私は改めて憤りを憶えます。この地図は取り返しのつかない過去と、呆然と立ちすくむ未来を私たちに見せているようです。

文部科学省による東京都及び神奈川県の 航空機モニタリングの測定結果について(10/6)
http://radioactivity.mext.go.jp/ja/1910/2011/10/1910_100601.pdf

汚染ルートとタイミング(早川由紀夫火山ブログ)
http://kipuka.blog70.fc2.com/blog-entry-430.html

被曝限度引き上げ〜国の責任放棄2011/10/09 13:47

 守れないから基準を変えてしまえ・・・年間1ミリシーベルトの被曝限度を上げてしまおうという本当にひどい話が進行しています。被ばく線量基準の在り方を検討している国の放射線審議会が、被曝限度を1〜20ミリシーベルトの間で引き上げる提言を出そうとしていることが明らかになりました。提言は10月中にも出される予定です。
 放射線審議会は、文部科学省に設置されている審議会で、「放射線障害防止の技術的基準に関する法律(昭和33年5月21日、法律第162号、平成11年12月22日改正)」に基づいて設置されています。この法律の目的は放射線障害防止の技術的基準を策定する上での基本方針を明確にし、かつ技術的基準を定めることです。その基本方針とは「放射線を発生する物を取り扱う従事者と一般国民の受ける放射線の線量を放射線障害を及ぼすおそれのない線量以下にすること」と定められています。つまり、この審議会は、放射線従事者と一般国民それぞれについて被曝限度を定めるという重要な機関なのです。
 日本は一般国民に「放射線障害を及ぼすおそれのない線量」=年間1ミリシーベルト以下を被曝限度と定めていました(1985年ICRP勧告に基づき1989年4月施行)。ところが、3.11以後、日本ではこの基準を守れないほどの汚染地帯が広がりました。すると、「非常事態」という都合のいい概念を持ち出し、すでに汚染された状況に、あるいは、政府の都合に合わせた新しい基準がつぎつぎ作られました。それは、国民の「命を守る」ための基準になっていません。ここで、すべての根本の基準である「年間1ミリシーベルト」まで反古にすることなど到底許されません。
 3.11以後、日本人の体が急に放射線に強くなったのでしょうか。国がやるべきことは「放射線障害を及ぼすおそれのない線量以下にする」ことです。原発事故を収束させこれ以上の放射能放出を止め、避難、除染、食品規制等、徹底的な被曝低減対策を行い、とにかく放射線被曝から「命を守る」ことです。できないから基準を変えてしまうなど、情けなくて情けなくて・・・こんな国に命を預けられますか。

◆これはぜひお聞き下さい。たね蒔きジャーナルの小出裕章氏
被曝限度「1〜20mSv」へ変更提言を批判。20mSv被曝で子供の癌死80倍320人 小出裕章(MBSたね蒔きジャーナル10/5)
http://hiroakikoide.wordpress.com/2011/10/06/tanemaki-oct6/

被ばく限度の緩和 無責任な基準値設定は問題だ(愛媛新聞10/8)
http://www.ehime-np.co.jp/rensai/shasetsu/ren017201110086129.html

被ばく限度に中間目標 1年間に「1~20ミリシーベルト」(東京新聞10/7)
http://www.tokyo-np.co.jp/article/politics/news/CK2011100702000042.html

■放射線審議会基本部会委員名簿
http://www.mext.go.jp/b_menu/shingi/housha/meibo/1310187.htm
御用学者の集まり・・・でないことを祈っています

ストロンチウムの汚染濃度試算2011/10/10 06:46

ストロンチウムとセシウムの存在比マップ
 放射性ストロンチウムが広い範囲で検出されています。9/30に文科省が公表した プルトニウムとストロンチウムの測定結果から、今回はストロンチウムについて考えてみたいと思います。ストロンチウムは体内被曝が特に問題となる放射性物質です。詳しくは 4/16の当ブログをご覧ください。
 事故の際、ストロンチウムはセシウムと一緒に放出されます。ストロンチウムはベータ線しか出さないため分析検出が難しいので、一般的にはセシウムとの存在比率によってストロンチウムの存在量を推定します。
 今回、文科省からストロンチウム90/セシウム137存在比のデータが発表されています。それによると、セシウム137に対するストロンチウム90の存在比は0.00016〜0.058(平均0.0026)になりました。存在比マップを見るとおよその傾向がつかめます。原発から北西方向では0.002以下の比較的存在比の低い点が並んでいます。南西方向では0.001〜0.005の点が目立ちます。存在比の高い点は離ればなれに点在しています。ばらつきはあるものの、おおむね0.0005〜0.005の一桁の中に分布しているようです。
 非常におおざっぱな数値ですが、セシウムの地表汚染濃度に0.005をかけた値がおそらく多めの予測、0.0005をかけると低めの予測となります。文科省が出した平均値は0.0026です。例えば奥多摩でセシウム137が10万ベクレルならば、1平方メートル当たり50〜500ベクレルのストロンチウム90が同時に存在する可能性があるということです。
 文科省が発表した セシウム137の地表濃度分布図の凡例にこの係数をかけて見れば、ストロンチウムのおよその汚染分布が予測できるはずです。実測値が極めて少ない中ではこのような荒っぽい方法で予測するしかありません。
 次に存在比のバラつきについて考えてみました。原発事故の際、セシウムと同時にストロンチウムも放出されますが、その時の温度などの条件によって放出量が変わります。高温の核燃料の中からセシウム-137よりストロンチウム-90が放出されにくく、放出時の条件によって放出された放射能の組成が不均一になります。
 5/22に東電が原発内溜まり水の分析結果を発表しています。セシウム137とストロンチウム90の存在比が、1号機では0.00013、2号機では0.05、3号機では0.093、4号機では0.005でした。文科省の土壌データとほぼ一致する存在比となっていることが分かります。原子炉ごとの存在比の違いは燃料溶融時の温度の違いが大きいのではないかと思います。最もストロンチウム存在比率が高い3号機が、最も高温状態になったと考えられます。
 周辺のストロンチウムの存在比率にみられるバラつきは、それぞれ4つの原子炉のうちどこから放出された放射性物質が流れてきたかの違いかもしれません。4つの原子炉は時間差で放射能放出し、その時の気象条件も違います。

 今回の事故では圧倒的にセシウム放出量が大きく、地表汚染の主役はセシウムです。ストロンチウムに関しては、広域的な地表汚染の問題より、食物連鎖を通じた内部被曝の問題が重要です。生態系全体で見る必要があります。海洋汚染を通じた拡散と海産物に含まれるストロンチウム摂取による内部被曝を防がなければなりません。国や自治体による海産物のストロンチウム分析は極めて不十分です。今後は海洋も含めてさらに詳細な観測を行ってストロンチウム汚染の実態を解明しなければなりません。

放射線量等分布マップの作成等に係る検討会(第10回)配付資料:アルファ線放出核種(Pu-238,Pu-239+240)及び ベータ線放出希少核種(Sr-89,Sr-90)のデータの処理について(文科省9/30)
http://www.mext.go.jp/b_menu/shingi/chousa/gijyutu/017/shiryo/__icsFiles/afieldfile/2011/10/05/1311753_1.pdf

(追記10/12)横浜でストロンチウム検出
 横浜市のマンション屋上の堆積土からストロンチウム90が1kg当たり195ベクレル検出されました。同時に検出された放射性セシウムが6万ベクレルでした。この存在比は、195÷60000=0.00325 で、上記試算とほぼ一致しています。横浜は原発から250kmも離れていると驚いていますが、当然の結果です。

甲状腺検査〜福島県の子ども36万人2011/10/11 00:01

ヨウ素131汚染マップ
 正直、いまさら・・・と思います。子どもの甲状腺検査、もちろんやるべきです。でも、半年前のあの時に、やらなければならなかったことがあったはずです。本当に悔しくて残念でなりません。
 事故直後に大量放出されたヨウ素131、子どもの体内に取込まれると小さな甲状腺に集まります。ヨウ素は短い半減期の間に甲状腺の狭い範囲を集中的に被曝させます。放射線の影響は分子レベルのものです。今頃調べてもヨウ素131は消えていて、遺伝子DNAの傷だけが残っているのです。DNAの傷なんて調べることはできません。DNAが放射線によって傷つけられた場合、将来のがん発生の可能性があります。がん発生の確率は被曝量に比例します。チェルノブイリでは数年後より甲状腺がんが発生し始め、10年後にピークとなり、20年後に元に戻りました。公式統計でも4000人以上のがん発生が認められています。もともと子どもの甲状腺がんは通常では非常に珍しいがんなのです。
 チェルノブイリのときはまだよく分かっていませんでした。しかし、チェルノブイリを経験した我々は、今回の事故直後に速やかに実行すべきことがありました。放射能拡散予測にもとづく速やかで実効性のある避難と安定ヨウ素剤の服用です。最悪の事態を予測して行動すべきであるのに、事故の過小評価によってどちらも実行されませんでした。情報を握っている国と東電の罪は極めて重いものがあります。
 さらに、ヨウ素131が検出できるうちに、速やかな内部被曝検査を行うべきでした。3月中、いわき市で35ミリシーベルト相当の内部被曝か見つかった4歳児もいました。それなのに、国も自治体も動きませんでした。あのころ調べれば、被曝量がはっきりして、将来のリスク予想ができました。
 今やっている検査は、超音波エコーで甲状腺の肥大、組織の変化などを見るだけです。1人5分の簡単なものです。継続的に検査すれば、将来病変を早期発見できるというだけのものです。テレビに出たお母さんの言葉「モルモットみたい」が印象的です。

 事故直後は大量のヨウ素131が放出されました。放射能の量としてはセシウムの比ではありません。当時は東京でさえ1平方メートル当たり数万ベクレルのヨウ素が降ってきました。セシウム濃度で東京の100倍近い福島県内の汚染地帯では、当然ヨウ素も100倍近く降下したはずです。1平方メートル当たり数百万ベクレルという途方も無い放射能が降り掛かった可能性があります。
 文科省が9/21にヨウ素131の土壌汚染マップを公表しています。6月14日時点の濃度と断ってあります。ヨウ素131の半減期から逆算すれば事故直後に最大どれくらいのヨウ素131が存在していたかを推定することができます。例えば、6/14時点で福島市周辺では1平方メートル当たり最大1000ベクレル近く残っていました。すると放出からおよそ90日(およそ8日×11)なので計算すると、
 1000÷0.5^11=2000000 (0.5の11乗は0.0005)
なんと、1平方メートル当たり200万ベクレル存在していたこと推定できます。先ほどの荒っぽい推定通りです。現在ではさらに130日経っていますから(0.5の16乗をかけると)ほとんど消えています。今では痕跡を調べることも困難です。
 当時、大量のヨウ素131が降下する中で多くの子どもたちがそれを知らずに過ごしました。当時の行動状況、飲食内容などによって内部被曝量は違ってきます。いまさら出てきた汚染マップと、いまさら始めた健康調査、やることが遅過ぎます。

文部科学省による放射線量等分布マップ (ヨウ素131の土壌濃度マップ)の作成について(9/21)
http://radioactivity.mext.go.jp/ja/distribution_map_around_FukushimaNPP/0002/5600_0921.pdf