信じられないのは温度計ですか?それとも東電ですか?(日記) ― 2012/02/13 20:26

昨日から今日にかけて、腹が立ってしかたありません。このところ2号機の温度が上昇していましたので、毎日東電が発表するデータを見ていました。理系のクセなのか、数字やデータのついついこだわってしまいます。徐々に上がっていく温度を見つめながら、原因はなんだろう、また部分臨界が起こっているのではないか、そもそも原子炉の中はどうなっているのだろう?と・・・
ところが、80℃を超えたとたん「温度計の故障」なんてあっさり言い放つ東電に、激しい怒りを憶えます。それにしても東電の対応はある意味予想通りでもありました。これまでも、怪しいデータが出ると「計器不良」、原子炉水位、温度、圧力など重要なデータを後で訂正したり、あげくの果ては臨界を示す物質を検出したと言った直後に間違いだったと言ったり、そんなことは何度もくりかえしてきたからです。
はっきり言って、東電が出してくるデータは第三者による検証が不可能です。いまだに現場は、東電が押さえて管理して支配しているのですから、データは東電の手のうちにあります。今回も東電が温度計の故障説を出したとたんに、保安院はそれを容認するという手回しの良さ、本来ならば保安院が現場に乗り込んで検証するくらいは当たり前です。事故を起こしている当事者の東電から現場の管理権限を取り上げて国が直接管理すべきです。もっとも国にその能力があるとは思えませんが。能力が無いなら原発はやめましょう。
低い温度を示している温度計は正常なのですか。そもそも問題の温度計もついこの間まで正常と言っていたのではありませんか。都合の良いデータを出しているうちは「正常」で、不都合なデータを出し始めると「故障」。どうも、科学とは別次元の話のような気がしてなりません。注水後に温度が下がり始めたときは、注水によって冷却されたと言っていました。下がるときは正常なんですね。都合良過ぎます。
東電は、キセノンが検出限界値以下だから再臨界はないと言っていますが、キセノン測定装置の不良は考えないのでしょうか。(12日午前3時にキセノン検出という情報が東電から出てすぐ否定されたという情報もあります)
今日は280℃にまで上昇しています。温度計の近くで部分臨界が起きたとか、溶岩のようになった燃料が温度計に接触しているとか、という可能性はまったくないのでしょうか。そもそも、炉内の状況はすべて想像なのです。信頼性の乏しい限られたデータとシミュレーション計算でああだこうだ言ってるだけです。それも東電のさじ加減一つで結果が変わるのです。
もしかしたらみんな東電に振り回されているだけなのではと思うこともあります。バカらしくなってきます。想像しても仕方ありません。もうメルトダウンしてメルトスルーして原子炉はもぬけの殻、格納容器も突き破って地下でマグマになっていると思って、物事を見た方が良さそうです。
今日は「日記」として書きました。
ところが、80℃を超えたとたん「温度計の故障」なんてあっさり言い放つ東電に、激しい怒りを憶えます。それにしても東電の対応はある意味予想通りでもありました。これまでも、怪しいデータが出ると「計器不良」、原子炉水位、温度、圧力など重要なデータを後で訂正したり、あげくの果ては臨界を示す物質を検出したと言った直後に間違いだったと言ったり、そんなことは何度もくりかえしてきたからです。
はっきり言って、東電が出してくるデータは第三者による検証が不可能です。いまだに現場は、東電が押さえて管理して支配しているのですから、データは東電の手のうちにあります。今回も東電が温度計の故障説を出したとたんに、保安院はそれを容認するという手回しの良さ、本来ならば保安院が現場に乗り込んで検証するくらいは当たり前です。事故を起こしている当事者の東電から現場の管理権限を取り上げて国が直接管理すべきです。もっとも国にその能力があるとは思えませんが。能力が無いなら原発はやめましょう。
低い温度を示している温度計は正常なのですか。そもそも問題の温度計もついこの間まで正常と言っていたのではありませんか。都合の良いデータを出しているうちは「正常」で、不都合なデータを出し始めると「故障」。どうも、科学とは別次元の話のような気がしてなりません。注水後に温度が下がり始めたときは、注水によって冷却されたと言っていました。下がるときは正常なんですね。都合良過ぎます。
東電は、キセノンが検出限界値以下だから再臨界はないと言っていますが、キセノン測定装置の不良は考えないのでしょうか。(12日午前3時にキセノン検出という情報が東電から出てすぐ否定されたという情報もあります)
今日は280℃にまで上昇しています。温度計の近くで部分臨界が起きたとか、溶岩のようになった燃料が温度計に接触しているとか、という可能性はまったくないのでしょうか。そもそも、炉内の状況はすべて想像なのです。信頼性の乏しい限られたデータとシミュレーション計算でああだこうだ言ってるだけです。それも東電のさじ加減一つで結果が変わるのです。
もしかしたらみんな東電に振り回されているだけなのではと思うこともあります。バカらしくなってきます。想像しても仕方ありません。もうメルトダウンしてメルトスルーして原子炉はもぬけの殻、格納容器も突き破って地下でマグマになっていると思って、物事を見た方が良さそうです。
今日は「日記」として書きました。
地震を過小評価〜大飯原発ストレステスト ― 2012/02/18 20:43
大飯原発3、4号機の再稼働に向けたストレステスト評価が最終段階に入っています。地震と津波に対する耐性チェックが評価の柱です。ところが、その前提条件に大きな疑問があります。このままでは、再び「想定外」の大事故を引き起こす恐れがあります。
原発は「そこで起こりうる最大規模の地震」に耐えることが前提で作られ運転されています。ところがその地震想定が過小評価されている疑いがこの大飯原発でも指摘されています。( 1/28の読売新聞)これまで最大規模の地震として想定していた断層とは別にもう一つの断層が連動して動く可能性があるのです。そうなると、これまでの想定よりはるかに規模の大きな地震が発生するので、これまでの安全評価は成り立たないというのことです。
上の図をご覧ください。海底探査で確認したFo-B断層とFo-A断層の2本はおそらく連続していると考えられます。大飯原発の目の前の小浜湾内で切れています。その先、琵琶湖方面に向かって熊川断層が存在します。これらはほぼ直線上に並んでいて、地下で連続している可能性は否定できません。小浜湾内海底で切れていますが、海底探査では断層を確認できないこともあります。したがって、最大規模の地震を想定する際は、これら3つの活断層が連動して動くと考えるべきです。地震学者の石橋克彦氏は、3連動で1260ガルを超えると警告しています。
大飯原発の想定する基準地震動はFo-BとFo-A断層の2連動で700ガルというものです。今回のストレステストでは、コンピュータシミュレーションの結果、基準の1.8倍まで耐えられることが分かったと報告しています。700ガルの1.8倍は1260ガルです。なんと、石橋氏が警告する1260ガルとぴったり同じです。これでは余裕度ゼロということになって、とても「安全」と言えるレベルではありません。
国は今になって活断層3連動を想定した基準地震動の再検討を指示しています。この報告が今月末には出る予定です。まだまだ、そんな出発点以前の段階なのに、世の中の話は再稼働の最終判断などと騒いでいます。これまで何十年も地震に襲われず運転が続けられてきたのは、単なる幸運に過ぎなかったのかもしれないのです。若狭湾原発銀座一帯は活断層が縦横に走り、いつ直下型大地震が発生するかわかりません。再稼働などとんでもないことです。
実は地震のリスクを突き詰めていくと日本には原発は存在しえないのです。2007年の中越沖地震では柏崎刈羽原発直下で想定外の活断層が動き、想定をはるかに超える地震動に見舞われました。同原発3号機ではタービン建屋1階で2058ガル(想定834ガルの2.45倍)、原子炉建屋基礎で384ガル(想定193ガルの1.98倍)を観測、もちろん3号機は地震以来現在も止まったままです。国は想定を超えても大事故を起こさなかったなどと開き直っていますが、想定自体が間違っていたことは極めて深刻です。その時破壊しなかったとはいっても、耐性限界値を超える力が加わった原発を再び使い続けることはできません。今回の福島第1原発でも、2,3、5号機で想定値を超える揺れが観測されています。
そもそも国はこれまで各地の原発差し止め裁判や説明会の場で「想定を超える地震は絶対に起こりえない」と言ってきました。これまで、宮城県沖地震(1978年)で女川原発、能登半島地震(2007年)で志賀原発、前述の中越沖地震(2007年)で柏崎刈羽原発、そして今度の福島原発と、現実には次々と想定値を上回る地震が発生しているのです。その度に想定外を繰り返してきました。
太平洋沿岸のプレート境界で巨大地震が起こると言うことは、皆さんご存知ですが、日本海側にもプレート境界があって地震多発地帯であることは意外と知られていません。ユーラシアプレートと北米プレートが衝突しているところです。そこは、日本海東縁変動帯と言われています。さらに新潟から阪神大震災のあった神戸付近まで 新潟神戸ひずみ集中帯といって、ここでも東西からの圧縮力を受けて無数の活断層ができています。歴史的にもこの中で多くの大地震が発生しています。
天正大地震(1586年)推定M8(震源は岐阜県北西部付近?)では、若狭湾に大津波が発生し町を呑み込んだとの記録が残っています。今回のストレステストでは津波についても評価して、11.4mまで耐えられるとしました。元々の想定値は2.85mです。したがって十分安全と言っているわけですが、天正大地震のときの津波の高さが関電の調査では確認されていません。町を呑み込むほどの津波ですから、尋常な高さではありません。
現段階で科学的に立証されていないことは想定しなくて良いという立場に立ったら、また想定外を繰り返すことになります。不確実な可能性を含めて安全側に立って最悪想定をしなければいけません。日本においては地震想定を厳しくすれば、原発のような決して壊れてはならない巨大システムは成立しえないのです。
関西電力(株)大飯発電所3号機及び4号機の安全性に関する総合的評価(一次評価)について(原子力安全委員会)
3つの活断層の連動を評価すれば、大飯3・4号の耐震安全性は成り立たない(美浜の会)
津波痕跡調査14カ所追加 若狭湾岸で関電など実施(産經新聞)
原発は「そこで起こりうる最大規模の地震」に耐えることが前提で作られ運転されています。ところがその地震想定が過小評価されている疑いがこの大飯原発でも指摘されています。( 1/28の読売新聞)これまで最大規模の地震として想定していた断層とは別にもう一つの断層が連動して動く可能性があるのです。そうなると、これまでの想定よりはるかに規模の大きな地震が発生するので、これまでの安全評価は成り立たないというのことです。
上の図をご覧ください。海底探査で確認したFo-B断層とFo-A断層の2本はおそらく連続していると考えられます。大飯原発の目の前の小浜湾内で切れています。その先、琵琶湖方面に向かって熊川断層が存在します。これらはほぼ直線上に並んでいて、地下で連続している可能性は否定できません。小浜湾内海底で切れていますが、海底探査では断層を確認できないこともあります。したがって、最大規模の地震を想定する際は、これら3つの活断層が連動して動くと考えるべきです。地震学者の石橋克彦氏は、3連動で1260ガルを超えると警告しています。
大飯原発の想定する基準地震動はFo-BとFo-A断層の2連動で700ガルというものです。今回のストレステストでは、コンピュータシミュレーションの結果、基準の1.8倍まで耐えられることが分かったと報告しています。700ガルの1.8倍は1260ガルです。なんと、石橋氏が警告する1260ガルとぴったり同じです。これでは余裕度ゼロということになって、とても「安全」と言えるレベルではありません。
国は今になって活断層3連動を想定した基準地震動の再検討を指示しています。この報告が今月末には出る予定です。まだまだ、そんな出発点以前の段階なのに、世の中の話は再稼働の最終判断などと騒いでいます。これまで何十年も地震に襲われず運転が続けられてきたのは、単なる幸運に過ぎなかったのかもしれないのです。若狭湾原発銀座一帯は活断層が縦横に走り、いつ直下型大地震が発生するかわかりません。再稼働などとんでもないことです。
実は地震のリスクを突き詰めていくと日本には原発は存在しえないのです。2007年の中越沖地震では柏崎刈羽原発直下で想定外の活断層が動き、想定をはるかに超える地震動に見舞われました。同原発3号機ではタービン建屋1階で2058ガル(想定834ガルの2.45倍)、原子炉建屋基礎で384ガル(想定193ガルの1.98倍)を観測、もちろん3号機は地震以来現在も止まったままです。国は想定を超えても大事故を起こさなかったなどと開き直っていますが、想定自体が間違っていたことは極めて深刻です。その時破壊しなかったとはいっても、耐性限界値を超える力が加わった原発を再び使い続けることはできません。今回の福島第1原発でも、2,3、5号機で想定値を超える揺れが観測されています。
そもそも国はこれまで各地の原発差し止め裁判や説明会の場で「想定を超える地震は絶対に起こりえない」と言ってきました。これまで、宮城県沖地震(1978年)で女川原発、能登半島地震(2007年)で志賀原発、前述の中越沖地震(2007年)で柏崎刈羽原発、そして今度の福島原発と、現実には次々と想定値を上回る地震が発生しているのです。その度に想定外を繰り返してきました。
太平洋沿岸のプレート境界で巨大地震が起こると言うことは、皆さんご存知ですが、日本海側にもプレート境界があって地震多発地帯であることは意外と知られていません。ユーラシアプレートと北米プレートが衝突しているところです。そこは、日本海東縁変動帯と言われています。さらに新潟から阪神大震災のあった神戸付近まで 新潟神戸ひずみ集中帯といって、ここでも東西からの圧縮力を受けて無数の活断層ができています。歴史的にもこの中で多くの大地震が発生しています。
天正大地震(1586年)推定M8(震源は岐阜県北西部付近?)では、若狭湾に大津波が発生し町を呑み込んだとの記録が残っています。今回のストレステストでは津波についても評価して、11.4mまで耐えられるとしました。元々の想定値は2.85mです。したがって十分安全と言っているわけですが、天正大地震のときの津波の高さが関電の調査では確認されていません。町を呑み込むほどの津波ですから、尋常な高さではありません。
現段階で科学的に立証されていないことは想定しなくて良いという立場に立ったら、また想定外を繰り返すことになります。不確実な可能性を含めて安全側に立って最悪想定をしなければいけません。日本においては地震想定を厳しくすれば、原発のような決して壊れてはならない巨大システムは成立しえないのです。
関西電力(株)大飯発電所3号機及び4号機の安全性に関する総合的評価(一次評価)について(原子力安全委員会)
3つの活断層の連動を評価すれば、大飯3・4号の耐震安全性は成り立たない(美浜の会)
津波痕跡調査14カ所追加 若狭湾岸で関電など実施(産經新聞)
福島県双葉町に「死の灰」が降った〜井戸川町長の証言 ― 2012/02/19 00:01

1週間ほど前にツイッターにこんな記事が載りました。ツイートしたのはジャーナリスト烏賀陽弘道氏です。烏賀陽氏は「報道災害【原発編】」を上杉隆氏と共著した、現在フリーで活躍しているジャーナリストです。あまりにもショッキングな内容だったのでツイートから抜粋転載してご紹介したいと思います。
<以下引用>
「烏賀陽さんからの福島県双葉町の井戸川町長の話」ツイッターまとめ
(hirougaya 2012/02/12 01:49~02:35:49)
福島県双葉町に「死の灰」が降ったという井戸川克隆町長のお話、あまりに驚いたので今夜のうちにお知らせします。(注:2/12)
同町は福島第1原発が町内にある「立地自治体」。町全体が立入禁止(警戒区域)になって全町民6400人が避難。練馬区くらいの大きさの町。役場は埼玉県加須市に移転。きょう移転先役場で町長に会った。
移転先は埼玉県加須市、生徒が減って廃校になった騎西高校をそのまま使っている。なお500人弱の双葉町民がそのまま避難生活を続けている。そのありさまにも驚いた。アパートなど借り上げ住宅に移っていない人もまだそんなにたくさんいるのだ。
3.11一周年を前に取材が殺到したため「まとめて会見に応じましょう」という感じで町長は土曜日の午後1時半から6時半までずっと質疑応答しっぱなし。「テレビ」「新聞」「フリー」と3グループ別。頭が下がる。ありがとうございました。
「町民は、過去の歴史だけでなく、将来をも奪われてしまった。これはどんな価値よりも大切なものを奪われたということです。それは東京電力の補償など絶対に追いつかない」
新聞テレビは10数人集まっていたが、フリーは私ともう一人しかいなかったので、かなりぜいたくな「半分独占取材状態」になった。ありがとうございました。
「どの方向に」「何で避難する」避難指示が国や県からなかったので、役場の前の旗を見て風向きを見て逃げる方向を判断せざるをえなかった。
それまでの毎年の避難訓練は「電源が失われたが、3時間くらいで復旧、冷却装置が作動」というシナリオだったので、まったく役に立たなかった。
町民はやむなくバラバラにマイカーで逃げるしかなかった。福島県川俣町が避難を受け入れることを決めたので、防災無線で「とにかく川俣町へ」と必死で呼びかけた。
12日、町民が脱出するなか、双葉厚生病院の前で入院者や近くの老人ホームのお年寄りをバスに乗せる誘導をしていたら、最初の水素爆発が起きた。「ズン」という鈍い音がした。
12日「ズン」という鈍い音がした。「ああ、とうとう起きてしまった」と町長は思った。数分して、断熱材(グラスファイバー)のような破片がぼたん雪のように降ってきた。「大きなものはこれぐらいあった」と町長は親指と人差し指でマルをつくった。
双葉厚生病院は福島第1原発から2キロしか離れていない。雪のように断熱材(?)の破片が降るのを、300人くらいの町職員や医師、看護師らが呆然と見つめた。町長は「これでもう終わった」と思った。
福島第1原発から断熱材(?)が雪のように降り注ぐ光景を、町長は「それはそれは不思議な光景だった」と振り返る。「そういう映画にでも出てきそうな光景だった」。なすすべもなく、服についた「チリ」を手で払い落とすしかなかった。
そうした「福島第1原発からのチリ」を浴びた町長に「それは危険なものだという認識はあったのですか」と問うと「今でも『もう終わった』と思っている」と応えた。「それはどういう意味ですか」と問い返すと「鼻血がとまらない」と言った。
「ずっと鼻血がとまらない。鼻をかむと今でも血が出る。たらたら垂れることもある。もう乾燥しているんだかなんだかわからない」
「胸から下、すね毛まで毛が抜けてつるつるになった」「銭湯で隣に座ったじいさんが『おい、女みたいにすべすべになっているぞ』というので気づいた」「陰毛だけは大丈夫だった」「体毛がないと肌着がくっついて気持ちが悪い」
3月11日直後から東電の職員は2人が町役場に来ていた。ふだんから担当している広報課の職員だ。しかしメルトダウンや水素爆発の情報は何も教えてくれなかった。今から思うと顔面蒼白で、知っていたのかもしれない。
補足。政府が決めた「ベント」も何の予告もなかった。町民が真下にまだいるのに、ベントが行われた。自分たちを日本国民と思っているのか。まるで明治維新の前からそのままではないか。
「死の灰」の話にびっくりして「その場(双葉厚生病院前)に何人くらいいたのですか」と町長に問うた。町長は「300人くらい」と応えた。絶句した。若い職員、医師、看護師もいたという。町長は「バス一台分乗っただけだった」と残念がった。
「12日の水素爆発のあと、福島第1原発から断熱材の破片のようなものが雪のように降ってきた」。その後飯舘村にいた人が「空気中を繊維のくずのようなものがキラキラ舞っていて、あれ、外なのにおかしいなと思った」という証言と一致する。
水素爆発のあと、福島第1原発から双葉町に降り注いだ断熱材(グラスウール)の破片のようなもの。これはどう考えても「死の灰」ではないのか。
12日、「ズン」という鈍い音がして、福島第1原発が最初の水素爆発を起こしたあと、数分後に、双葉厚生病院前に断熱材(グラスウール)の破片のようなものが「ぼたん雪のように」降り注いだ。=烏賀陽注:これはどう考えても「死の灰」ではないのか。
ちなみに、3月12日の最初水素爆発のあと、福島第1原発から双葉町に「ぼたん雪のように」降り注いだ断熱材(グラスウール)の破片を町長が目撃した双葉厚生病院は、同原発から2キロしか離れていない。
12日の水素爆発の映像を見ると、煙は北~北西方向に流れているので、双葉町長が「双葉厚生病院に降下物が降った」という証言は矛盾しないのです。> 福島第一原発 爆発の瞬間 2011 03 12 1536頃発生: youtube@さんから
<引用以上>
続いて、これを裏付ける話として氏のツイートからさらに引用
(2011年3月18日NHKニュースより 福島県双葉町・双葉厚生病院に水素爆発の降下物が降った目撃談)
福島県の福島第一原子力発電所の1号機で、今月12日、水素爆発が起きた際、およそ3キロ北にある双葉町の病院で患者を避難させていた職員が、NHKの取材に、当時の様子を証言しました。
双葉厚生病院では、今月12日、医師や職員らが寝たきりの患者などを避難させようとしていた午後3時半すぎ、福島第一原発の1号機で水素爆発があり、原子炉建屋は骨組みだけを残し屋根と外壁が吹き飛びました。
NHKニュースより一部
病院の薬剤師、杉内敏行(スギウチトシユキ)さんは、当時、屋外で避難の対応にあたっていた様子をカメラで撮影していました。
杉内さんは「突然、大きな音とともに強い爆風を体に感じた。
空から断熱材のようなものが降ってきて体についたとき、『ああ、これでもう終わりだ』と思ったが、患者を安全なところに避難させなければと急いで避難を続けた」と話していました。
また、病院の建物の中で衝撃を感じたという看護部長の西山幸枝さんは、「どーんとものすごい音がした。地震とは違う音ですぐに原発だと思い、とても恐ろしかった」と話していました。
双葉厚生病院では、職員など20人余りが、放射性物質を洗い落とす「除染(ジョセン)」が必要なレベルの被ばくをしていたことが確認されていますが、福島県では「いずれも健康に影響の出るレベルではなかった」としています。
これでNHKニュースと「福島民報」記事、烏賀陽の取材に井戸川克隆・双葉町長が語った内容が、場所、時間、降下物の詳細とも一致したことになります。さて、どう思いますか。
<引用以上>
「福島民報」記事というのはこれです。
【双葉町の双葉厚生病院】突然の避難指示(福島民報2001/3/12)
「・・・ドーンという破裂音が振動とともに伝わる。双葉高グラウンドで患者を自衛隊ヘリに乗せる作業に追われていた職員は耳を疑った。原発の建屋の断熱材とみられる白い破片がパラパラと空から降ってきた。それが何なのかが分からず、触った職員もいた。・・・」
<引用以上>
長々と引用してきましたが、私はこの話を聞いて、ビキニの水爆実験で被ばくした第5福竜丸のことを思い出しました。「空から白い雪のようなものが降ってきた」という話です。これは吹き飛んだ珊瑚礁の破片でした。これとそっくりな話です。双葉町の場合、おそらく水素爆発で吹き飛んだ建屋の破片だと考えられます。もちろん放射性物質とともに降り注いだはずです。
雪のように「死の灰」が降ってきたという話までは、恥ずかしながら今まで知りませんでした。烏賀陽氏の発言でようやく知りましたが、調べてみると当時の報道にもわずかに残っていました。それにしても、マスコミ的にはほとんど取り上げられていない話だと思います。今、あらためて当時の緊迫した状況を思い返しています。
烏賀陽弘道氏のツイッター
(参考) もぬけの殻となっていた双葉厚生病院-その時なにが・・(ブログ:院長の独り言9/20)
<以下引用>
「烏賀陽さんからの福島県双葉町の井戸川町長の話」ツイッターまとめ
(hirougaya 2012/02/12 01:49~02:35:49)
福島県双葉町に「死の灰」が降ったという井戸川克隆町長のお話、あまりに驚いたので今夜のうちにお知らせします。(注:2/12)
同町は福島第1原発が町内にある「立地自治体」。町全体が立入禁止(警戒区域)になって全町民6400人が避難。練馬区くらいの大きさの町。役場は埼玉県加須市に移転。きょう移転先役場で町長に会った。
移転先は埼玉県加須市、生徒が減って廃校になった騎西高校をそのまま使っている。なお500人弱の双葉町民がそのまま避難生活を続けている。そのありさまにも驚いた。アパートなど借り上げ住宅に移っていない人もまだそんなにたくさんいるのだ。
3.11一周年を前に取材が殺到したため「まとめて会見に応じましょう」という感じで町長は土曜日の午後1時半から6時半までずっと質疑応答しっぱなし。「テレビ」「新聞」「フリー」と3グループ別。頭が下がる。ありがとうございました。
「町民は、過去の歴史だけでなく、将来をも奪われてしまった。これはどんな価値よりも大切なものを奪われたということです。それは東京電力の補償など絶対に追いつかない」
新聞テレビは10数人集まっていたが、フリーは私ともう一人しかいなかったので、かなりぜいたくな「半分独占取材状態」になった。ありがとうございました。
「どの方向に」「何で避難する」避難指示が国や県からなかったので、役場の前の旗を見て風向きを見て逃げる方向を判断せざるをえなかった。
それまでの毎年の避難訓練は「電源が失われたが、3時間くらいで復旧、冷却装置が作動」というシナリオだったので、まったく役に立たなかった。
町民はやむなくバラバラにマイカーで逃げるしかなかった。福島県川俣町が避難を受け入れることを決めたので、防災無線で「とにかく川俣町へ」と必死で呼びかけた。
12日、町民が脱出するなか、双葉厚生病院の前で入院者や近くの老人ホームのお年寄りをバスに乗せる誘導をしていたら、最初の水素爆発が起きた。「ズン」という鈍い音がした。
12日「ズン」という鈍い音がした。「ああ、とうとう起きてしまった」と町長は思った。数分して、断熱材(グラスファイバー)のような破片がぼたん雪のように降ってきた。「大きなものはこれぐらいあった」と町長は親指と人差し指でマルをつくった。
双葉厚生病院は福島第1原発から2キロしか離れていない。雪のように断熱材(?)の破片が降るのを、300人くらいの町職員や医師、看護師らが呆然と見つめた。町長は「これでもう終わった」と思った。
福島第1原発から断熱材(?)が雪のように降り注ぐ光景を、町長は「それはそれは不思議な光景だった」と振り返る。「そういう映画にでも出てきそうな光景だった」。なすすべもなく、服についた「チリ」を手で払い落とすしかなかった。
そうした「福島第1原発からのチリ」を浴びた町長に「それは危険なものだという認識はあったのですか」と問うと「今でも『もう終わった』と思っている」と応えた。「それはどういう意味ですか」と問い返すと「鼻血がとまらない」と言った。
「ずっと鼻血がとまらない。鼻をかむと今でも血が出る。たらたら垂れることもある。もう乾燥しているんだかなんだかわからない」
「胸から下、すね毛まで毛が抜けてつるつるになった」「銭湯で隣に座ったじいさんが『おい、女みたいにすべすべになっているぞ』というので気づいた」「陰毛だけは大丈夫だった」「体毛がないと肌着がくっついて気持ちが悪い」
3月11日直後から東電の職員は2人が町役場に来ていた。ふだんから担当している広報課の職員だ。しかしメルトダウンや水素爆発の情報は何も教えてくれなかった。今から思うと顔面蒼白で、知っていたのかもしれない。
補足。政府が決めた「ベント」も何の予告もなかった。町民が真下にまだいるのに、ベントが行われた。自分たちを日本国民と思っているのか。まるで明治維新の前からそのままではないか。
「死の灰」の話にびっくりして「その場(双葉厚生病院前)に何人くらいいたのですか」と町長に問うた。町長は「300人くらい」と応えた。絶句した。若い職員、医師、看護師もいたという。町長は「バス一台分乗っただけだった」と残念がった。
「12日の水素爆発のあと、福島第1原発から断熱材の破片のようなものが雪のように降ってきた」。その後飯舘村にいた人が「空気中を繊維のくずのようなものがキラキラ舞っていて、あれ、外なのにおかしいなと思った」という証言と一致する。
水素爆発のあと、福島第1原発から双葉町に降り注いだ断熱材(グラスウール)の破片のようなもの。これはどう考えても「死の灰」ではないのか。
12日、「ズン」という鈍い音がして、福島第1原発が最初の水素爆発を起こしたあと、数分後に、双葉厚生病院前に断熱材(グラスウール)の破片のようなものが「ぼたん雪のように」降り注いだ。=烏賀陽注:これはどう考えても「死の灰」ではないのか。
ちなみに、3月12日の最初水素爆発のあと、福島第1原発から双葉町に「ぼたん雪のように」降り注いだ断熱材(グラスウール)の破片を町長が目撃した双葉厚生病院は、同原発から2キロしか離れていない。
12日の水素爆発の映像を見ると、煙は北~北西方向に流れているので、双葉町長が「双葉厚生病院に降下物が降った」という証言は矛盾しないのです。> 福島第一原発 爆発の瞬間 2011 03 12 1536頃発生: youtube@さんから
<引用以上>
続いて、これを裏付ける話として氏のツイートからさらに引用
(2011年3月18日NHKニュースより 福島県双葉町・双葉厚生病院に水素爆発の降下物が降った目撃談)
福島県の福島第一原子力発電所の1号機で、今月12日、水素爆発が起きた際、およそ3キロ北にある双葉町の病院で患者を避難させていた職員が、NHKの取材に、当時の様子を証言しました。
双葉厚生病院では、今月12日、医師や職員らが寝たきりの患者などを避難させようとしていた午後3時半すぎ、福島第一原発の1号機で水素爆発があり、原子炉建屋は骨組みだけを残し屋根と外壁が吹き飛びました。
NHKニュースより一部
病院の薬剤師、杉内敏行(スギウチトシユキ)さんは、当時、屋外で避難の対応にあたっていた様子をカメラで撮影していました。
杉内さんは「突然、大きな音とともに強い爆風を体に感じた。
空から断熱材のようなものが降ってきて体についたとき、『ああ、これでもう終わりだ』と思ったが、患者を安全なところに避難させなければと急いで避難を続けた」と話していました。
また、病院の建物の中で衝撃を感じたという看護部長の西山幸枝さんは、「どーんとものすごい音がした。地震とは違う音ですぐに原発だと思い、とても恐ろしかった」と話していました。
双葉厚生病院では、職員など20人余りが、放射性物質を洗い落とす「除染(ジョセン)」が必要なレベルの被ばくをしていたことが確認されていますが、福島県では「いずれも健康に影響の出るレベルではなかった」としています。
これでNHKニュースと「福島民報」記事、烏賀陽の取材に井戸川克隆・双葉町長が語った内容が、場所、時間、降下物の詳細とも一致したことになります。さて、どう思いますか。
<引用以上>
「福島民報」記事というのはこれです。
【双葉町の双葉厚生病院】突然の避難指示(福島民報2001/3/12)
「・・・ドーンという破裂音が振動とともに伝わる。双葉高グラウンドで患者を自衛隊ヘリに乗せる作業に追われていた職員は耳を疑った。原発の建屋の断熱材とみられる白い破片がパラパラと空から降ってきた。それが何なのかが分からず、触った職員もいた。・・・」
<引用以上>
長々と引用してきましたが、私はこの話を聞いて、ビキニの水爆実験で被ばくした第5福竜丸のことを思い出しました。「空から白い雪のようなものが降ってきた」という話です。これは吹き飛んだ珊瑚礁の破片でした。これとそっくりな話です。双葉町の場合、おそらく水素爆発で吹き飛んだ建屋の破片だと考えられます。もちろん放射性物質とともに降り注いだはずです。
雪のように「死の灰」が降ってきたという話までは、恥ずかしながら今まで知りませんでした。烏賀陽氏の発言でようやく知りましたが、調べてみると当時の報道にもわずかに残っていました。それにしても、マスコミ的にはほとんど取り上げられていない話だと思います。今、あらためて当時の緊迫した状況を思い返しています。
烏賀陽弘道氏のツイッター
(参考) もぬけの殻となっていた双葉厚生病院-その時なにが・・(ブログ:院長の独り言9/20)
再稼働にブレーキか?〜班目委員長? ― 2012/02/20 20:32
「1次評価で原発の安全性を評価するには不十分だ。詳細な判断基準を設けた『2次評価』まで行わないと正しく評価できない」「そもそもストレステストを運転再開の判断に用いることには賛成できない」「運転再開の判断は政府や保安院が行うものだ」
“デタラメ委員長”の異名をもつ原子力安全委員長の班目春樹氏、2/20の記者会見でこんな発言をしました。班目氏はこれまでも数々のトンデモ発言をしていますが、今回はマトモ過ぎてビックリです。たぶん国もビックリしたでしょう。これまでの流れからすれば、原子力安全・保安院の判断をそっくり認めるだけの機関でしたから。
原子力安全委員会は内閣府に置かれた審議会で、原子力行政のチェック機関ということになっていますが、実際の決定権限は経産省や文科省が握っていますので、結局は専門家として「安全」お墨付きを出すのがその仕事となっています。実際に事故が起きた時には何の役にも立たなかったことは国民衆知の事実です。
さて、班目委員長の発言はいったい何を意味するのでしょう。再稼働の条件とされるストレステストは1次評価と2次評価の2段階になっています。1次評価は、想定を超える地震や津波などに対しどの程度耐えられるかを調べます。一方、2次評価は、福島第一原発事故の検証結果も踏まえて総合的に評価することになっています。
班目委員長は「福島原発事故の検証なしに安全評価はできない」という至極当然なことを言ったまでのことです。ただ意外だっただけです。3月いっぱいともされる委員長の任期をにらんで、重大判断から逃避する「責任逃れ」に過ぎないとも勘ぐれますが。
班目氏の思惑ははさておき、この発言は再稼働を進める政府には影響を与えます。もともと、1次評価と2次評価の位置づけははっきりしていませんでした。政府はこれまで、定期検査中の原発の運転を再開するときは、1次評価で良いと言ってきました。運転継続の可否を判断するのに2次評価を行うと言っています。はっきり言ってよく分かりません。
2次評価まで行うように求めている福井県など地元自治体の動きにも影響を与えます。安全委員会までが「1次評価では不十分」と言うのですから、このまま地元自治体がすんなり受け入れるとは思えません。
班目発言で再稼働の流れが狂ってしまった国は,次にどう出るつもりでしょう。
“1次評価”安全性評価できず(NHKWeb2/20)
http://www3.nhk.or.jp/news/html/20120220/t10013158631000.html
“デタラメ委員長”の異名をもつ原子力安全委員長の班目春樹氏、2/20の記者会見でこんな発言をしました。班目氏はこれまでも数々のトンデモ発言をしていますが、今回はマトモ過ぎてビックリです。たぶん国もビックリしたでしょう。これまでの流れからすれば、原子力安全・保安院の判断をそっくり認めるだけの機関でしたから。
原子力安全委員会は内閣府に置かれた審議会で、原子力行政のチェック機関ということになっていますが、実際の決定権限は経産省や文科省が握っていますので、結局は専門家として「安全」お墨付きを出すのがその仕事となっています。実際に事故が起きた時には何の役にも立たなかったことは国民衆知の事実です。
さて、班目委員長の発言はいったい何を意味するのでしょう。再稼働の条件とされるストレステストは1次評価と2次評価の2段階になっています。1次評価は、想定を超える地震や津波などに対しどの程度耐えられるかを調べます。一方、2次評価は、福島第一原発事故の検証結果も踏まえて総合的に評価することになっています。
班目委員長は「福島原発事故の検証なしに安全評価はできない」という至極当然なことを言ったまでのことです。ただ意外だっただけです。3月いっぱいともされる委員長の任期をにらんで、重大判断から逃避する「責任逃れ」に過ぎないとも勘ぐれますが。
班目氏の思惑ははさておき、この発言は再稼働を進める政府には影響を与えます。もともと、1次評価と2次評価の位置づけははっきりしていませんでした。政府はこれまで、定期検査中の原発の運転を再開するときは、1次評価で良いと言ってきました。運転継続の可否を判断するのに2次評価を行うと言っています。はっきり言ってよく分かりません。
2次評価まで行うように求めている福井県など地元自治体の動きにも影響を与えます。安全委員会までが「1次評価では不十分」と言うのですから、このまま地元自治体がすんなり受け入れるとは思えません。
班目発言で再稼働の流れが狂ってしまった国は,次にどう出るつもりでしょう。
“1次評価”安全性評価できず(NHKWeb2/20)
http://www3.nhk.or.jp/news/html/20120220/t10013158631000.html
関西電力「原発ゼロで電力不足」の大ウソ! ― 2012/02/21 20:15
2/20、高浜原発3号機が停止、ついに関西電力の原発11基がすべて止まりました。 たしか、関電の原発依存度は日本一の51%と言われていました(2010年度)。なのに停電ひとつ起こりません。電力会社は毎日のようにキツイキツイと言っていますが。もはや多くの人は眉に唾をつけて聞いています。すると、今度は「冬はいいけど夏は足りない」と言いはじめました。マスコミも一斉に「電力危機」を報じています。さて、本当に夏の電力は足りないのでしょうか。
2/21に関西電力が発表した「原発なし」の供給力は、2766万kWでした。実は、これは不思議な数字です。国の試算に使われている関西電力のデータでは2533万kWですし、関西電力が10月にやはり国に出した数字は2353万kWでした。他社からの電力融通や自家発買電がプラスされているかもしれません。ま、とにかく、原発なしの最大供給力が2766万kWあるということがわかります。
関西電力「原発ゼロで電力不足」の大ウソ!がわかるグラフ
さて、上のグラフは関西電力が発表した昨年の夏の電力需要に私が加筆したものです。昨夏の最大電力は、8/9の2784万kWでした。このグラフに、原発なしの供給力2766万kWのラインを引いてみました。なんと、超えたのはたった1日だけ!これだけでも私たちは原発なしで夏を乗り切る確信が持てるというものです。
2010年猛暑の夏を電力会社はよく引き合いに出しますが、もうそのような電気の使い方はできないということは誰もが知っています。仮に、猛暑で電気を使いまくった2010年と比較すると、超えている日が何日もありますが、これとて、それぞれ昼間の数時間とみて、年間の1%程度のものです。他の99%の時間は電気は足りているのです。
また、原発依存度51%という数字にもカラクリがありました。原発の供給力が976万kWでしたから供給力として原発の占める割合は27%(定期点検を考慮すれば22%程度)です。つまり、もともと4分の1程度しか原子力はないのです。ですから、すべて止めてもすぐには供給不足になるはずがありません。51%という数字に騙されてはいけません。多くの電力会社がそうであるように、これまでは原発をフルに使って、火力などはほとんど休止させていました。
猛暑が来たらとか、火力発電所がダウンしたらとか、さまざまなマイナス不確定要素を言い立てて、やっぱり原発がいるという人はいます。しかし、考えてみてください、もしもの時のために原発が必要っていう論理はどこかおかしくありませんか。今、私たちは、もし事故が起こったら大変なことになる、だから原発は無いほうが良いと考えています。普段は必要なくて、もしもの時だけ必要な発電方法に命をかけることは、どう考えても理解に苦しみます。
2/21に関西電力が発表した「原発なし」の供給力は、2766万kWでした。実は、これは不思議な数字です。国の試算に使われている関西電力のデータでは2533万kWですし、関西電力が10月にやはり国に出した数字は2353万kWでした。他社からの電力融通や自家発買電がプラスされているかもしれません。ま、とにかく、原発なしの最大供給力が2766万kWあるということがわかります。
関西電力「原発ゼロで電力不足」の大ウソ!がわかるグラフ
さて、上のグラフは関西電力が発表した昨年の夏の電力需要に私が加筆したものです。昨夏の最大電力は、8/9の2784万kWでした。このグラフに、原発なしの供給力2766万kWのラインを引いてみました。なんと、超えたのはたった1日だけ!これだけでも私たちは原発なしで夏を乗り切る確信が持てるというものです。
2010年猛暑の夏を電力会社はよく引き合いに出しますが、もうそのような電気の使い方はできないということは誰もが知っています。仮に、猛暑で電気を使いまくった2010年と比較すると、超えている日が何日もありますが、これとて、それぞれ昼間の数時間とみて、年間の1%程度のものです。他の99%の時間は電気は足りているのです。
また、原発依存度51%という数字にもカラクリがありました。原発の供給力が976万kWでしたから供給力として原発の占める割合は27%(定期点検を考慮すれば22%程度)です。つまり、もともと4分の1程度しか原子力はないのです。ですから、すべて止めてもすぐには供給不足になるはずがありません。51%という数字に騙されてはいけません。多くの電力会社がそうであるように、これまでは原発をフルに使って、火力などはほとんど休止させていました。
猛暑が来たらとか、火力発電所がダウンしたらとか、さまざまなマイナス不確定要素を言い立てて、やっぱり原発がいるという人はいます。しかし、考えてみてください、もしもの時のために原発が必要っていう論理はどこかおかしくありませんか。今、私たちは、もし事故が起こったら大変なことになる、だから原発は無いほうが良いと考えています。普段は必要なくて、もしもの時だけ必要な発電方法に命をかけることは、どう考えても理解に苦しみます。
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