東京新聞にしました(日記)2011/09/20 21:02

東京新聞9/20朝刊より
 昨日からマスコミの反応を見ていましたが、残念ながらさっぱりです。そんな中「脱原発6万人集会」の見出しを1面で見つけて、すかさず買ったのが「東京新聞」。通勤電車の中で一気に読みました。
 社会面には「福島と連帯『原発いらない』」と紙面の半分、「こちら特報部」2ページ分が「さようなら原発デモ」特集。「抵抗の意志しっかり」「子の将来のために」の見出しに、大江さん等の写真。そっくり皆さんに紹介したいところです。一部は東京新聞のオンライン版でも見れます。
 報道の影響はとても大きいです。小さな出来事を大きく見せたり、大きな出来事を小さく見せたり。情報の伝え方ひとつで事実まで変わってしまいます。
 東京新聞を読むと現在進行形の原発危機がひしひしと感じられます。巨大広告主である東電を中心とした財界経済界を敵に回しても報道し続けるその姿勢は立派だと思います。
 前から考えていましたが、今日の新聞を見て決めました。新聞は「東京新聞」を購読することにします。早速、ネットで申し込みをしました。電気も選べると良いのですが。

平和の意味を考える・・・映画『Peace』(日記)2011/07/26 22:36

映画『Peace』
 この作品はドキュメンタリー映画作家の想田和弘監督の最新作です。私は、監督が足利出身ということ以外、何の事前知識も持たずにその映画を観に行きました。チラシを見て、猫と老人の映画くらいにしか考えていませんでした。結果的には、それが良かったのかもしれません。何の先入観もなかっただけに、それは、まさに「発見」の映画でした。そんな訳で、ここで、映画の紹介をしてしまうのをちょっと躊躇います。無心で観て欲しい、そんな映画でしたから。
 想田監督がカメラを向けたのは、岡山で暮らし、福祉の仕事に携わる義父母とまわりの人々、義父が庭で世話する野良猫達の静かな日常でした。”福祉有償運送”という名のボランティアで障害者を送り迎えして買い物につき合ったり、狭い路地裏の老人宅をヘルパーしてて思わず戦争体験を聞いたり、裏庭では猫世間に波風が立っていたり、そんな日々の普通の暮らしの中に、「平和と共存」のカギがあったのでした。
 監督自身の言葉を借りれば、「ゆずることが共存の条件。多様性が平和の基盤。多様であることが許されること、それが平和であるということ。寛容は平和の種子。不寛容は戦争の種子。」強いものがゆずること。受け入れること。それは野良猫の集団が私たち人間に見せてくれた「平和と共存」の知恵でした。様々なハンデを持つ人も、人に迷惑をかけながらも、普通に生きていける。そんなあたりまえの日常が「平和」そのものでした。
 今、私たちの暮らしは『Peace』=「平和」なんだろうか? 戦争をしていないから「平和」と、簡単には言えません。人々が、ピースフルな暮らし、平和な日々を送れるということが、本当の『Peace』=「平和」です。

 3.11以後にこの映画を観る意味というものを、私は改めて考えました。たくさんの人々が震災によりそれまでの日常を奪われました。そして、たくさんの人々が原発と放射能におびえながらの暮らしを余儀なくされています。自分の家で、自分の街で、生きて、暮らして、死んでいくというあたりまえの生活を奪うものが原発でした。
 災害は自然現象ですが、戦争は人間が起こすものです。原発は人間が作ったものです。私は原発というものが、いかに「反平和的」で暴力的な存在かということを思い知りました。
 かつて、原子力発電のことを原子力(核)の「平和利用」と名付けて、この日本に持ち込んだのは一体誰でしょう。広島長崎の悲劇、第5福竜丸の悲劇を経験した日本人は、核=戦争という認識と、核を拒否する感覚を持っていました。ところが、「平和利用」という言葉に騙されて、原子力(核)を受け入れてしまいました。将来的に核武装したいと思っていた当時の一部政治家やその周辺による、強引な原発導入と日本人の意識改造計画があったとする見方もあります。
 いずれにしても、「平和」という視座から「原発」を考え直すことが必要だと痛感しました。単なる、技術論や電力問題だけで論じていては、原発危機の根本は見えてこないと思います。

 この映画、「平和」の意味をもう一度見つめ直す、ささやかな日常を描きながら、そんな大それた問題を提起する、素晴らしい作品でした。
 映画『Peace』公式HP http://www.peace-movie.com/index.html

20年ぶりの反原発出前講師(日記)2011/07/09 23:02

小道具新作:ペレットと燃料棒
 今日は、原発の話を頼まれて小さな集まりに行ってきました。おそらく、20年ぶりの「反原発出前講師」です。
 放射能汚染の実態、20ミリシーベルト問題、福島原発で何が起こり今どうなっているのか、電力不足は本当かなど、このブログで取り上げてきたようなことをお話ししました。昔、出前には必ず何かしら小道具を用意しました。今回の新作はペレットと燃料棒の部分模型です(写真)。

 さて、今回私を呼んでくれたのは、友人の関わっている障害者運動グループの人たちです。車イスで介護者付きの参加でした。そんな訳で、障害者運動と反原発運動の関係は?という質問があり、参加者の皆さんと一緒に私も考えてみました。

 障害者運動と反原発運動の関係
 一つは、効率追求と障害者排除の論理という問題です。効率や能率を追い求める社会システムを象徴するものの一つとして「原発」というシステムがあります。それに対して、非効率で足手まといな存在、マイノリティーとしての「障害者」という人たちがいます。結局、「原発」的システムは「障害者」的存在を排除することで成りたっているのではないでしょうか。「原発」は圧倒的に強者の論理によって成り立っています。
 もう一つは、「自分の命は自分のものだ」という当たり前のことが脅かされているということです。障害者であっても彼の命は彼のものです。ところが、障害をもった人たちは、障害者であるというだけで命を管理され握られてしまうことを余儀なくされています。障害者運動はそういうことに対してずっと異議を唱え続けてきました。「原発」は電気と引き換えの放射能によって、人びとの命を脅威に曝しています。自分のDNA=自分の命が勝手に傷つけられています。「自分の命が自分のものでなくなっている」ことに、ものすごい違和感、危機感、怒りをもつことが、反原発運動の原点だからです。
 講座からの帰り道、ずっと考えてきました。命の危機、生存の危機を感じるかどうかは、本能とか感性の問題かもしれません。データと理詰めでどれだけ反原発を訴えても、なかなか人の心を動かすことはできません。もちろん、真実を知ることはとても大事です。次に必要なのは、理屈でなく、感性(センス)です。感じるか感じないかはとても大きな違いです。反原発運動を「集団ヒステリー」と揶揄した人がいますが、理屈の通じない連中がコワイから、そんなことを言うのでしょう。

 「反原発出前講師」引き受けます!

ジャガイモの収穫(日記)2011/07/06 23:23

ジャガイモの収穫
 今日はジャガイモの収穫。ささやかな畑ですがコンテナ3杯にもなりました。植え付けをしたのが4月2日でしたから、ほんの3ヶ月ちょっとでこんなにたくさん採れて本当に感謝感激です。
 植えた頃は、この辺のカキ菜が出荷停止になったりして、放射能のひどい頃でした。はたして、このジャガイモは大丈夫だろうか?そんなことを考えながらいつも畑を見ていました。しかし、いざ、掘り始めると、大きなイモがゴロゴロ出てきてはうれしくて楽しくて、そんなこと忘れて夢中になっていました。
 畑の持ち主でもある隣のおばあちゃんも見に来て、立派なジャガイモに満足なようです。カキ菜の頃は放射能を心配していたおばあちゃんですが、今はまったくそんな素振りもなく、楽しそうに畑をやっています。いつのまにか、うちのおばあちゃんまで出てきてしまいました。平均年齢高すぎです。
 収穫したジャガイモは早速、秋田にいる娘に送ってやりました。妻とどうかなとちょっと思案しましたが「いつも秋田のいい野菜食べてるんだから、たまには足利の野菜食べたっていいだろ」という変な理屈で納得。
 晩ご飯には堀りたてのジャガイモをふかしてまるごと食べました。イモ掘りで疲れたからだにビールが美味い。自分で作った食べ物は格別です。
 さて、放射能はどうなのか?いろいろ考えてはみました。なにしろ、自分でこのジャガイモの放射能を測ることはできませんから。
 まず、公表されている 食品の放射能検査データをみました。すると、ジャガイモ(バレイショ)に関する主なデータです。いずれも1キログラム当たりのセシウム137の量です。
 福島県二本松市(6/23)56ベクレル
 その他、福島県内各地では 0ベクレルの所が多い
 群馬県沼田市(6/20)0ベクレル
 千葉県睦沢町(6/16)0ベクレル
これらのデータ自体が十分信頼できるとすれば、この辺りのジャガイモで高濃度汚染はないのかもしれません。
 次に放射性降下物の累積量を見ました。セシウム137は半減期が30年と長いので原発事故後に降り積もった放射能がそのまま土壌に残っていると考えられます。二本松市付近では1平方メートル当たり30万ベクレルに達する所もあります。前橋市では3000ベクレル、宇都宮市では1500ベクレルくらいです。ちなみに、福島県飯舘村では300万ベクレルを超えています。おそらく、この辺りの土壌の汚染度からみても、セシウムが高濃度で野菜に入ることはないと思います。
 一応、こんなことを考えて、このジャガイモ「食べても良し」としました。

 こんど、「放射能汚染と食品」について私の考えをまとめたいと思います。

生徒の質問(日記)2011/06/21 07:09

 今日は学校の話をちょっと。
 昼休み女の子たちが理科室にやってきました。
「ちょっと授業以外の質問なんですけど・・・」
 あらま、何かな
「あの〜、放射能のことなんですけど〜」
 きたーっ!
「洗濯物とか外に干しても大丈夫ですか?」
 う〜ん、みんな心配しているんだ。
 <<今は大丈夫だよ。そこまで心配しなくても。>>
 ここで止まらない所が教員の悪い癖です。
 <<でもね、これからは食べ物とか気をつけないとね。>>
 <<外から受ける放射線より、体内被曝のほうが怖いから。>>
「あっ、お茶とか?、なんか言ってるよね。テレビ!」
 すかさず、『放射能汚染茶』缶詰の実物を見せました。
「えーっ、何これっ!いくらで売ってるの?」
 <<これはね、みんなが生まれる前、25年も前の・・・>>と、つい調子に乗って長々説明してしまいました。
「チェルなんとかって聞いたことある!お茶飲んでも大丈夫?」
 <<みんなは若いんだから、少しでも放射能が入っていれば止めた方が良いね。基準値なんて信じちゃいけないよ。>>
 ハッキリ言ってしまいました。こんな若い子たちの体に原発から出た放射能がどんな微量でも入ってほしくないから。

 私は、今年度の最初の生物の授業で放射能の話をしました。だいぶ興奮気味だったようで、私はよく憶えていないのですが、生徒の方は印象に残っていたようです。「今まで何も分からなかったけど、先生の話を聞いてやっと分かりました。誰も教えてくれないし・・・ホントにありがとう!」って言われた時は、正直、うれしかった。
 放射能が一番影響を与えるのは、何の罪もない何も知らない子どもたちです。大人が作った原発が事故を起こして、子どもを犠牲にする理不尽が本当に許せません。私は、これからも「命を守る」「子どもたちを守る」という単純な動機で動こうと思います。

オマケ
「えーっ、先生ブログやってるの!見たい!」
「えっ、ミクシイやってるの!」
 こういうことが生徒たちにはとてもウケるのです。さっそくケータイを開いてました。頑張って書こう!