脱原発集会ーチェルノブイリと福島現地報告2011/04/25 07:11

1986年4月26日のチェルノブイリ原発事故からままもなく25周年となります。それでも原発は止められないできました。そして、この日本で原発の大事故を起こしてしまったのです。今回の集会は、もともとチェルノブイリ25周年のため準備されていたものでした。それが、福島原発事故を受けた緊急行動になってしまいました。

まず、ロシアから来日したパーベル・ヴドヴィチェンコさんのチェルノブイリ現地報告がありました。パーベルさんはチェルノブイリ原発から370キロメートルもはなれた町で今も暮らしています。ここは放射能汚染のホットスポットの中にありました。「あの日まで、作物を収穫したり、キイチゴを摘んだり、そういう普通の暮らしが、ずっと続くと思っていました。あれ以来今日まで、普通の暮らしが奪われています。そしてこれからも何十年も奪われ続けなければならない・・・それがフクシマで起こってしまいました。再びこの悲劇を繰り返してはいけません。」人の一生くらいでは消えることのない放射能汚染、未来の世代までずっと続く「チェルノブイリの十字架」を背負って生きなければならない。そう訴えるパーベルさんの言葉が胸に迫ります。今後パーベルさんの報告会が開かれますにで、ぜひ多くの人に話を聴いてほしいと思います。
報告会予定、メッセージ&ビデオ

続いて、福島県大熊町の大賀さんによる現地報告。「16年間大熊町でささやかな農業をやっていました。廃炉を目指す運動をやっていたのに、本当に3.11が起こってしまった。混乱の中いわきまで逃げました。本当につらい。」時々涙に声を詰まらせながらの訴えに会場は静まり、もらい泣きをする人もありました。

つづいて、福島から中手さんの訴え。「自分の子どもは西日本に疎開させています。避難するにも勇気がいるのです。久しぶりに会った子どもは、残した友達のことを心配しています。この気持ちを絶対に忘れない。必ず福島をきれいにして戻れるようにするのが私の責任。」
前回ブログにも書きましたが、文科省は年間20ミリシーベルトという「放射線管理区域」の何倍もの被曝を、福島の子どもたちに負わせる決定をしました。中手さんは、これを絶対に撤回させなければと、強く強く訴えました。ここでも、私の責任という言葉が強く印象に残りました。