「原発難民」支援の先に突きつけられたもの ― 2011/04/01 20:43
原発から遠く離れたところで、「ニンジン」だの「かき菜」だのと呑気な話をしていることを本当に申し訳ないと思います。福島原発周辺からの避難民は、20km圏内8万人、30km圏内まで含めると対象者は22万人にもなります。しかも飯舘村のように40km離れていても高濃度汚染が起きている場所があり、さらに避難範囲を拡大する必要があります。これだけの人々が平穏な日常生活を奪われ、過酷な避難生活、あるいは放射能の恐怖の中での生活を強いられています。しかも、避難した人はいつ家に帰れるかも分からない。そんな数十万人もの「原発難民」に対して私たちはいったい何ができるだろう。
避難所、住居、生活、雇用、学校・・・今すぐになんとかしなければならないことが山ほどあります。自分には一体何ができるか、このところずっと考えています。そして、そうした目前の支援をした後のこと、ずっと先のことも考えてしまいます。今はそんなことを言っている場合ではないかもしれませんが、どうしても頭から離れないことがあります。
「こんなことが起きたのだから原発は廃止だよね」って言うと、「だけど、電気が足りなくなったらどうするの」という反応のいかに多いことか。首都圏では福島の避難民よりも放射能よりも「計画停電」が最大の関心事。停電を恐れ、夏の冷房が心配な人たちは、柏崎で現在運転中の4基の原発を止めようと言うだろうか。「もっと電気を」という私たちの生活が原発の存在を支えてきたことは事実です。安全な原発ができるなら東京で使う電気は東京で作れば良い→「東京に原発を」と言われたらおそらく東京の誰もが認めないでしょう。なのに福島なら良いのですか、新潟なら良いのですか?
いつまでも電気の大量消費をつづける生き方を見直すことこそ、再び「原発難民」の悲劇を生まないという意味で、私たちのやるべきこと、選ぶべき道だと思います。
「原発がなければ電気が足りない」というのは本当か?ということについては、あらためてお話ししたいと思います。
>>コメントありがとうございます。すで直接支援行動をされていることに敬意を表します。原発が被災地復興の足かせになっているなんて、東北地方は二重被災者なんですね。(4/2)
避難所、住居、生活、雇用、学校・・・今すぐになんとかしなければならないことが山ほどあります。自分には一体何ができるか、このところずっと考えています。そして、そうした目前の支援をした後のこと、ずっと先のことも考えてしまいます。今はそんなことを言っている場合ではないかもしれませんが、どうしても頭から離れないことがあります。
「こんなことが起きたのだから原発は廃止だよね」って言うと、「だけど、電気が足りなくなったらどうするの」という反応のいかに多いことか。首都圏では福島の避難民よりも放射能よりも「計画停電」が最大の関心事。停電を恐れ、夏の冷房が心配な人たちは、柏崎で現在運転中の4基の原発を止めようと言うだろうか。「もっと電気を」という私たちの生活が原発の存在を支えてきたことは事実です。安全な原発ができるなら東京で使う電気は東京で作れば良い→「東京に原発を」と言われたらおそらく東京の誰もが認めないでしょう。なのに福島なら良いのですか、新潟なら良いのですか?
いつまでも電気の大量消費をつづける生き方を見直すことこそ、再び「原発難民」の悲劇を生まないという意味で、私たちのやるべきこと、選ぶべき道だと思います。
「原発がなければ電気が足りない」というのは本当か?ということについては、あらためてお話ししたいと思います。
>>コメントありがとうございます。すで直接支援行動をされていることに敬意を表します。原発が被災地復興の足かせになっているなんて、東北地方は二重被災者なんですね。(4/2)
新聞の見出しに見る「東日本巨大地震」 ― 2011/04/02 12:40
3月12日の朝刊から2週間分の新聞を並べてみました。こうして見ると、あらためて今回の巨大地震は「原発事故」だということが分かります。今日は久しぶりの休日でしたので新聞を3週間分まとめて読み返しました。当時の新聞がずうっと昔の出来事のように思えます。とても長い時間が経っているような気がします。まだ3週間ちょっとしか経っていないとは思えない長い時間でした。今もまた大きな余震がありました。この辺りは震度4です。
当時の焦った気持ちからだいぶ落ち着いてはきました。しかし、同時に、世の中がこの非常事態に慣れてきていることに愕然とします。鈍くなってはいけない。初めのころの驚き、怒り、恐怖を忘れてはならないと戒める今日この頃です。
当時の焦った気持ちからだいぶ落ち着いてはきました。しかし、同時に、世の中がこの非常事態に慣れてきていることに愕然とします。鈍くなってはいけない。初めのころの驚き、怒り、恐怖を忘れてはならないと戒める今日この頃です。
カキ菜のその後(日記) ― 2011/04/02 21:04
やっと春の陽気になりました。地震以来バタバタと忙しくて延び延びになっていたジャガイモの植え付けを今日やりました(写真はカキ菜です)。ささやかなものですが収穫すれば半年以上食べることができます。かつて多くの国で飢饉を救ったというジャガイモは素晴らしい食べ物です。今日も隣のおばあちゃんの指導のものと無事植え終わりました。
畑の中にはカキ菜もたくさん育っています。おばあちゃんに聞いてみました。「カキ菜はどうしてる?放射能のこと知ってる?」。すると、80過ぎのおばあちゃんは「うん、ウチじゃ食べるけど。人様にはあげられねえ」「いっぱい採れた分は捨ててる」「今年はしょうがねえな」とあっさり話してくれました。なんだか、無性にカキ菜が勿体なくてかわいそうに思えて、思わず、おばあちゃんに「もらって良い?」って言ってしまいました。
ポカポカした春の陽気に当たって、顔に暖かい春の風を感じていると、気持ちよくて放射能のことなど一瞬忘れます。カキ菜は今しか食べられないし、決して「池上彰」の言葉を信じる訳ではありませんが、洗って茹でて食べます。もしかして本当に今しか食べられないかもしれません。これからさらに汚染が進んでしまい、あのとき食べておけば良かったなんて、そんなことにならないように本気で祈っています。
結局、またカキ菜がどうのという呑気な話になってしまいました。ところで、「池上彰の学べるニュース3/23」 http://youtubeowaraitv.blog32.fc2.com/blog-entry-7730.htmlは見てびっくりがっくりです。池上さん、難しい言葉をただやさしく言い換えるだけ?そのノリで「優しい放射能」の解説ですか。罪な番組だと思います。
畑の中にはカキ菜もたくさん育っています。おばあちゃんに聞いてみました。「カキ菜はどうしてる?放射能のこと知ってる?」。すると、80過ぎのおばあちゃんは「うん、ウチじゃ食べるけど。人様にはあげられねえ」「いっぱい採れた分は捨ててる」「今年はしょうがねえな」とあっさり話してくれました。なんだか、無性にカキ菜が勿体なくてかわいそうに思えて、思わず、おばあちゃんに「もらって良い?」って言ってしまいました。
ポカポカした春の陽気に当たって、顔に暖かい春の風を感じていると、気持ちよくて放射能のことなど一瞬忘れます。カキ菜は今しか食べられないし、決して「池上彰」の言葉を信じる訳ではありませんが、洗って茹でて食べます。もしかして本当に今しか食べられないかもしれません。これからさらに汚染が進んでしまい、あのとき食べておけば良かったなんて、そんなことにならないように本気で祈っています。
結局、またカキ菜がどうのという呑気な話になってしまいました。ところで、「池上彰の学べるニュース3/23」 http://youtubeowaraitv.blog32.fc2.com/blog-entry-7730.htmlは見てびっくりがっくりです。池上さん、難しい言葉をただやさしく言い換えるだけ?そのノリで「優しい放射能」の解説ですか。罪な番組だと思います。
生物濃縮・・・セシウム137 ― 2011/04/03 15:02
生物濃縮
生物の「食う食われる」という食物連鎖によって、特定の物質が生物の体の中に濃縮されていく現象です。
有名な例は「水俣病」です。水俣病は工場排水に含まれていた有機水銀という物質が原因でした。排水に含まれる有機水銀は植物プランクトンに吸収され、それを食べた小動物の体内にさらに濃縮され、それを食べた魚に濃縮され、最後にその魚を食べた人間の体に最高に濃縮されたのです。なんと1000万倍以上に濃縮されました。このとき国が原因を認めるまで12年もかかったのです。その間、患者は増え続け多くの悲劇を生みました。
今、原発から出た放射性物質が海を汚染し続けています。セシウム137という物質は生物濃縮されることが知られています。スズキやカツオ、ブリなどでセシウム137が100倍以上に濃縮されることが報告されています。セシウムはカリウムと似ているため筋肉に蓄積されます。そのため魚を食べる大型魚により多く濃縮されます。魚のセシウム137の暫定規制値は体重1キログラムあたり500ベクレル以下ですから、それをクリアーするためには、計算上は海水で1リットルあたり5ベクレル以下の環境条件に相当します。ところが海水のセシウム137の基準値は90ベクレル以下となっています。それは生物濃縮を考慮していないからです。このように「生物濃縮」を考えると環境基準以下でも決して安全とはいえません。
もともとの海水のセシウム137濃度は1リットルあたり0.003ベクレルでした(1996年)。すでに原発から30キロメートル沖合でも15ベクレルが検出されています(3/24)。これを基準値以下だから大丈夫とは簡単に言えないのです。
今後、放射性物質の拡散状況と海洋生物への影響を長期にわたって調べていく必要があります。そして、私たちが口にする海産物は最低でも水揚げ単位でサンプリングし放射能検査を行って安全を確認してから市場に出すようにすべきです。風評被害を防ぐには正確な情報が不可欠。
生物の「食う食われる」という食物連鎖によって、特定の物質が生物の体の中に濃縮されていく現象です。
有名な例は「水俣病」です。水俣病は工場排水に含まれていた有機水銀という物質が原因でした。排水に含まれる有機水銀は植物プランクトンに吸収され、それを食べた小動物の体内にさらに濃縮され、それを食べた魚に濃縮され、最後にその魚を食べた人間の体に最高に濃縮されたのです。なんと1000万倍以上に濃縮されました。このとき国が原因を認めるまで12年もかかったのです。その間、患者は増え続け多くの悲劇を生みました。
今、原発から出た放射性物質が海を汚染し続けています。セシウム137という物質は生物濃縮されることが知られています。スズキやカツオ、ブリなどでセシウム137が100倍以上に濃縮されることが報告されています。セシウムはカリウムと似ているため筋肉に蓄積されます。そのため魚を食べる大型魚により多く濃縮されます。魚のセシウム137の暫定規制値は体重1キログラムあたり500ベクレル以下ですから、それをクリアーするためには、計算上は海水で1リットルあたり5ベクレル以下の環境条件に相当します。ところが海水のセシウム137の基準値は90ベクレル以下となっています。それは生物濃縮を考慮していないからです。このように「生物濃縮」を考えると環境基準以下でも決して安全とはいえません。
もともとの海水のセシウム137濃度は1リットルあたり0.003ベクレルでした(1996年)。すでに原発から30キロメートル沖合でも15ベクレルが検出されています(3/24)。これを基準値以下だから大丈夫とは簡単に言えないのです。
今後、放射性物質の拡散状況と海洋生物への影響を長期にわたって調べていく必要があります。そして、私たちが口にする海産物は最低でも水揚げ単位でサンプリングし放射能検査を行って安全を確認してから市場に出すようにすべきです。風評被害を防ぐには正確な情報が不可欠。
日本も脱原発へ・・・世論調査結果から ― 2011/04/04 15:20
これから原子力発電をどうするか?…世論調査は、日本も「脱原発」へ
すでに世界各国で世論調査が実施され、脱原発にむかう世論の変化が報じられています。福島原発事故以後これまで、主だったメディアは世論調査をやっていませんでした。そんな中、ようやく今日の読売新聞に世論調査結果が出ました。 http://www.yomiuri.co.jp/politics/news/20110403-OYT1T00595.htm その中で「今後、国内の原発をどうするか?」という問いがあります。記事の中では、「現状維持が最多の46%」とさらりと書いてあるだけです。表を見ると「増やす」というのが10%もあって、合わせて56%が原発容認!という結果に、ガーン!!! 私は打ちのめされました。原発は放射能を放出し、何万人も非難して、食べ物や水も汚染され、いまだに収束も見えない、まさにこの期に及んでまだ原発を認めるということに本当に愕然とします。
しかし、冷静になって考えてみると、いったい事故前はどうだったのか?、どう変わったのか?という疑問を感じました。しかも、読売新聞にしては扱いが小さすぎる。もしかして?!*と考えたのです。そこで、1970年代までさかのぼって過去の世論調査を見直してみました。その結果をまとめてみましたので興味ある方はご覧ください( pdfファイル )。上のグラフ、2009年は内閣府調査、2011年は今回です。
推進と現状維持を「原発容認」、減らすと廃止を「脱原発」として大きく二つに分けてみます。1978年の調査以来「原発容認」は最低でも60%以上で、このところ70〜80%と増えています。これに対し、「脱原発」は1999年に20%を超えただけで、2009年は16%にすぎませんでした。政府や電力会社のプロパガンダ、温暖化対策キャンペーン、エネルギー安全保障論などによって、8割の国民が原発を認めていたのです。
ところが、今は「原発容認」がいっきに23ポイント下げて56%に激減したのです。これまでこのような落ち込みはありませんでした。それに対し、「脱原発」は24ポイント増えて、41%に倍以上増えたのです。これもこれまで最高です。つまり、日本人の意識は大きく変わった、または、変わりつつある!のです。スイスのように87%が脱原発(2009年は73%が必要)という変化には及びませんが、確実に変化している。そのことに、今回、勇気付けられました。最初の落胆は希望に変わりました。「脱原発」の日までめげずにがんばりましょう。
すでに世界各国で世論調査が実施され、脱原発にむかう世論の変化が報じられています。福島原発事故以後これまで、主だったメディアは世論調査をやっていませんでした。そんな中、ようやく今日の読売新聞に世論調査結果が出ました。 http://www.yomiuri.co.jp/politics/news/20110403-OYT1T00595.htm その中で「今後、国内の原発をどうするか?」という問いがあります。記事の中では、「現状維持が最多の46%」とさらりと書いてあるだけです。表を見ると「増やす」というのが10%もあって、合わせて56%が原発容認!という結果に、ガーン!!! 私は打ちのめされました。原発は放射能を放出し、何万人も非難して、食べ物や水も汚染され、いまだに収束も見えない、まさにこの期に及んでまだ原発を認めるということに本当に愕然とします。
しかし、冷静になって考えてみると、いったい事故前はどうだったのか?、どう変わったのか?という疑問を感じました。しかも、読売新聞にしては扱いが小さすぎる。もしかして?!*と考えたのです。そこで、1970年代までさかのぼって過去の世論調査を見直してみました。その結果をまとめてみましたので興味ある方はご覧ください( pdfファイル )。上のグラフ、2009年は内閣府調査、2011年は今回です。
推進と現状維持を「原発容認」、減らすと廃止を「脱原発」として大きく二つに分けてみます。1978年の調査以来「原発容認」は最低でも60%以上で、このところ70〜80%と増えています。これに対し、「脱原発」は1999年に20%を超えただけで、2009年は16%にすぎませんでした。政府や電力会社のプロパガンダ、温暖化対策キャンペーン、エネルギー安全保障論などによって、8割の国民が原発を認めていたのです。
ところが、今は「原発容認」がいっきに23ポイント下げて56%に激減したのです。これまでこのような落ち込みはありませんでした。それに対し、「脱原発」は24ポイント増えて、41%に倍以上増えたのです。これもこれまで最高です。つまり、日本人の意識は大きく変わった、または、変わりつつある!のです。スイスのように87%が脱原発(2009年は73%が必要)という変化には及びませんが、確実に変化している。そのことに、今回、勇気付けられました。最初の落胆は希望に変わりました。「脱原発」の日までめげずにがんばりましょう。
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