震災からひと月・・・64年前の母の被災体験2011/04/11 20:36

 やっと家に帰り着きました。妻もまだ帰宅できていません。母が一人で待っていた時に地震が起こりました。母はしばらくテーブルの下に隠れていたそうですが、そのあと体が揺れるし目眩がすると言って風呂も入らず布団に入りました。血圧が上がったのかもしれません。
 今日は、地震から一ヶ月、母のことを書こうと思っていました。

 今日であの大震災からちょうど1ヶ月が経ちました。あらためて、被害にあわれた方々、愛する者を失った方々に心より哀悼の意を表します。
 このひと月という時間がいかに長く困難な道のりであったかということに心が痛みます。一日も早く元の暮らしを取り戻すことができますよう願っています。

 さて、私には今年79歳になる母がいます。震災後のテレビを見ながら涙を浮かべることがあります。母も災害で肉親を亡くしているからかもしれません。
 私が生まれるずっと前のことですから、私は話でしか知りません。戦後間もない1947年、関東地方を襲ったカスリーン台風による大水害。死者行方不明2千人近い大災害でした。
 この時、母は15歳、住込みで働き、家を離れていたので難を逃れました。渡良瀬川の決壊で家は跡形もなく流され、彼女の母(つまり私の祖母)と姉(伯母)、祖父(曾祖父)の3人の肉親を一度に亡くしました。父はすでに亡くしておりましたので、堤防に出ていた兄と二人だけが生き残りました。母と姉の遺体が見つかった時、母娘は互いに帯で結ばれていたそうです。何も知らされず連れて行かれた小学校の遺体安置所で変わり果てた二人と対面しました。祖父はそれきり行方不明のままです。何度も遺体安置所に行って、ムシロをめくっては捜したけれど、とうとう見つけられませんでした。当時は戦後の混乱期で救援物資もままならず、水害住宅(仮設住宅)は結局その後20年以上も残っていました。それは私の記憶にもあります。
 きっと、母には災害で何もかも一瞬で失った人たちの気持ちが、テレビの前にいても痛いほど伝わってくるのでしょう。本当に元の暮らしに戻るまで長い年月がかかるものだとしみじみ言っていました。
 その母が今回の震災後に、「まるで戦時下みたい」と呟いたのがとても印象的です。テレビに映し出される被災地の光景、計画停電、自粛、不謹慎・・・世の中全体を取り巻く雰囲気がどことなくそう思わせるのでしょう。「欲しがりません勝つまでは」という我慢と忍耐の国民性、「大本営発表~っ!」と本当のことを言わないお上、日本という国、この辺は実は何も変わっていないのかもしれません。
 でも、どん底から復興させた力も持っています。その力を、人々が安心して暮らせる本当の平和を築くために、結集させなければいけない。明るい未来を描くにはそれしかないと、私は思いました。

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